僕が戦場で死んだら/ティム・オブライエン

ISBN:4560071063
「一歩兵としてヴェトナムに従軍した経験がなかったら、作家になっていなかっただろう」と語るティム・オブライエンの処女作、かつ主人公は作者と同名であることから、自伝的な作品でもあると言えるのかもしれない。
時系列に並んではいるけれど、1つ1つの章が独立した短編のようになっていて、時には青春小説のようなさわやかな場面があり、時には目を背けたくなる残酷な戦場が描かれる。すべての場面は平等に、たんたんとした言葉で語られているが、その表現は鮮明に情景を浮かびあがらせる。
この作品を読んで感じたのは、戦場へ投げ出される殆どの青年が、それぞれのやり方で戦場における自らの「存在意義」を探し求めたのだろう、ということだった。そして、私自身も、もしこの恐ろしい場所にいたとしたら、私はどう振る舞えるのだろうと考えずにはいられなかった。そして「戦場へ行ったことのない者は皆、戦場での出来事など想像もできない」という言葉がさまざまな形で繰り返されるたびに、私はその想像もつかない場で、今の自分自身でいられるのだろうかと考えてしまった。

「人間は善を求めて行動しなければ完全に人間ではありえないと信じます」p73

果たして、そう信じ続けることはできるだろうか?
人が一人一人違う人であるように、兵士達もまた一人一人で、敵対している人々もまた一人一人だ。戦場にも日常があり、彼らはコーラを飲んだり、愚痴をいったり、さぼったりもする。しかしそれらの風景はほんの一瞬で失われる。その繰り返し。例えば第12章では、間違えて殺してしまったヴェトナム人女性に対し、彼らアメリカ兵は同情する。まるで自分達が殺したのではないかのように。自分が殺し、殺されるということに真正面から向きあってしまえば、きっと正気ではいられないのだろうと思う。「馬鹿げている」と確信しているのにも関わらず、自分一人の力ではその馬鹿げたことを終わらせられない。繰り返される死は、しかし決して同じ死ではないのに。

恐怖はタブーだった。もちろん、恐怖について話すことはできたが、肩をすくめ、にやっと笑って、しようがないという態度をはっきり示さなくてはならなかった。こういうすべてのことによって勇気の本当の意味が失われた。恐怖や死を−−少なくとも戦場にいる間は−−直視することができなかったのだから、その問題に真正面から取り組みようがなかった。p171

だからこそ彼らは、何かしら手近な「存在意義」を求めずにはいられなかったのではないか。国のため家族のため名誉のためいつかくる帰国の日のため。そんなふうに。
脱走を計画するものの、実行に移すことなく戦場へと送り出された主人公も、戦争という現実を目の前にして、「もしも戦争から生きて帰ることができたなら、僕は戦争について書こう」と思うことで、乗り切ったのではないだろうか。そして22章にでてくるキャリクルズはその「存在意義」が否定されかけたことによって、狂っていったのではないだろうか。
この小説には明確なメッセージや教訓のようなものはない。作者が描こうとしている根本は、私には想像することしかできない。ただ、歴史の中に埋没すると国単位で語られてしまう戦争の犠牲となるのは、この本にでてくるような、大勢の一人一人なのだということだけは忘れてはいけないと思う。