世界が完全に思考停止する前に/森達也

世界が完全に思考停止する前に

世界が完全に思考停止する前に

この本は、著者である森達也さん自身の感情と言葉で書かれている。ここに書かれていることが、唯一の正論という訳ではない。でも、日々報道されていることは、明らかに偏りがあるのだということを感じさせる内容だった。
例えば、森達也さんの映画デビュー作である「A」は、《そもそもテレビドキュメンタリーとして企画されたが、撮影が始まったばかりの段階で、「オウムを絶対悪として強調して描け」とプロデューサーから指示されて、これを拒絶したために中断を命じられ(p201)》という経緯があり、森さんは勤めていた番組制作会社を辞め、テレビというメディアから疎外されることになったという。そして、同じような「イメージ作り」は、きっと今も行われているのだろう。
注意しなくちゃ、と思う。1つの明らかな事実があったとしても、視点次第でそれは作られたものになる。例えばAにおける事実は、そのAの集合体における事実ではない。「かもしれない」は「ではないかもしれない」を含むのに、与えられる情報を、そのまま信じる人はいる。でももし、その情報を覆すような出来事があったとして、それが報道されなかったとしたら? そんなことを考えると恐ろしい。せめて、受け取り手として、想像力を働かせていたい、と思う。
例えば「ホテル・ルワンダ」の中で、印象に残ったシーンがある。ホアキン・フェニックスが演じる報道カメラマンの撮った虐殺の映像を見て、「これを見たらきっと世界中の人が助けにきてくれる」と言う主人公に対し、「この映像をニュースで見ても、世界の人々は「神よこんな酷いことがこの世にあるのか」と言い、そのまま夕食を食べ続けるだけだ」と言う。台詞は記憶で書いてるので曖昧だけど、ニュアンスは間違っていないと思う。そして、これと殆ど同じ事が、この本の中の、イラク戦争についての章で書かれている。
言葉は繰り返されているのに、それでも、日々いろんなことが忘れられて行く。私も忘れる。そしてまた過ちが繰り返される。この本は、そのことを思い出させてくれる。
この本に収められた記事は2003年〜2004年のものだけれど、あつかっている題材はそれ以前のものも含んでいる。古いと感じるものもあるかもしれない。でも、だからこそ思い出して、もう一度考えて、知ろうとするべきなんだと思った。

僕らは有機体のネットワークだ。僕らの同意のもとに世界はある。一人ひとりがこの世界に責任がある。(あとがきより/p213)

この言葉が、私が去年の今頃に思っていた(id:ichinics:20050216:p3)ことに重なるような気がして、ちょっと勇気づけられた。
私はとても感傷的な性格をしていて、そんな自分が時々うっとうしい。でも例えば少年犯罪について「親なんか市中引き回しの上、打ち首に」なんて言う政治家がいて、加害者の「心の闇」に迫るなんてテレビ番組があちこちで放送され、その影で自殺する加害者遺族の何と多いことか。そんなことを言えば「同情するのか」と非難する人もいるだろう。「A」を勧めた友人に、眉をひそめられたこともある。でも、想像して、葛藤してしまうことの何が悪いのか。誰だって、今日と変わらない明日が保証されてるなんてことはないんだし、非難することの反対が同情ではないはずだ。
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内容について、触れてみたい部分はたくさんあったのだけど、あまりにも多いので、本の感想とは別に、考えて書いてみたりしたい。
とにかく、ぜひ、いろんな人に読んで欲しい本です。
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ただ、一つだけ残念な点もあった。「視聴率格闘技戦争」という項で、プロレスファンである森さんが、かつてのクラスメイトに言及するところ。(まあこのへんも、森さんの感情で書かれているからこそなのかもしれないけど)
それを除けば、私は森さんの態度を尊敬するし、信用できるだろう、と感じるし、すごく「まとも」だと思う。そして、こういう人がいてくれるっていうことを、心強く思う。