犬の漫才師

どこかに、届くことを思って書きながら、届いたことを知ることができるチャンスなんて実はほとんどないってことを、わたしはすぐに忘れる。忘れてても取りに走る、それはもう反射のようなものなのだけど、それでもこの楽観を支えているもののことは、よく思い出していて、そのひとつに、かつてもらった「返事」がある。
ほんの二往復程度の会話だった。ただ、そこで発した私の言葉は、言葉という形に入れてしまった時点で、それはどこかわたしの思うものとは違ってしまっているはずなのに、その返事には、わたしの思うそのものと、確実に重なっている部分が、あるような気がした。気がしただけで十分で、わたしはほとんど小走りになるくらいうれしくて、あのうれしさだけで、ずいぶん遠くまで、きたんだなあと、思う。その信頼を広げて、私はいまも楽観的でいる。
ただあまりに楽観的すぎるのか、進歩はあまりないようで、今でもこんなふうに、とても大切なことだ、と思うときに限って、うまく言葉がでないのだけど、でも、そもそもうまい言葉なんて見つかったためしがあるだろうか? そんな自問も背中を押すものにしかならないほど、楽観的でいられることに、感謝したいと思う。
以上は助走。「僕は 君たちが 好きだ」ってあの台詞、いま言いたいのはそれだけです。
そう思えるってことは、私の2005年の目標は、だいぶ達成に近付いたのかもしれません。もしくは、深夜の勢い。そしてこれは照れ隠し。