伊坂幸太郎さんの『砂漠』に引用されているのを読んで、昔たぶん読んだことあるはずなのに覚えてないなぁ…と思ってたのは「夜間飛行」だった…ということに読みはじめて気付きました。
- 作者: サン=テグジュペリ,堀口大学
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1955/04/12
- メディア: 文庫
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確かに、この本が書かれた1930年代と比べれば、時代や感覚の差は大きい。たぶん。しかしその差を超えて差し伸べられる手の温度はきっとかわらないのだと思う。
他人の心を発見することによって、人は自らを豊富にする。人はなごやかに笑いながらお互いに顔を見あう。そのとき、人は似ている、海の広大なのに驚く解放された囚人に。p44
それは例えば、本を読むことにも似ている。
この本はいくつかの断片的な思い出によって構成されているのだけど、中でも興味深いのは、砂漠の真ん中に不時着、遭難した三日間のことを綴った「砂漠のまん中で」と、その思考を総括するような最終章「人間」だろう。
たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる。そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから。p224
意味、という言葉には、つい抵抗したくなる私も、「つるはしをひと打ち打ちこむ者は、自分のそのつるはしのひと打ちに、一つの意味があることを知りたく願う/p220」という言葉には、じっと考えこんでしまう。
まだわからない。ただ、この有名な言葉の意味は、すこしわかったような気がした。
ぼくら以外のところにあって、しかもぼくらのあいだに共通のある目的によって、兄弟たちと結ばれるとき、ぼくらははじめて楽に息がつける。また経験は僕らに教えてくれる、愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだと。/p216
その方向こそが役割であり意味なのだろう。……もっとよく考える。