クローバーフィールド/HAKAISHA

監督:マット・リーヴス
セントラルパークで発見された1本のビデオテープ、という設定で撮られたこの映画は全編手持ちビデオカメラによる映像で、突如「なにか」に襲われ混乱したNYを描いている。
最初のパーティシーンはなんかは、ちょっと再現ドラマみたいだなあと思ったりもしたのだけど(退屈という意味ではない)、いざ事件が起きてしまうと、あとはもうひたすらこわかった。映画を見て泣いたり笑ったりびっくりしたりということはあっても、こんなに緊張して画面を見守ったのは久しぶりだった。それは、カメラが映画全編通して、主人公たちの視線でありつづけるからかもしれない。
空を見上げても、何が起きてるのかよくわからない。人間というのは小さい(サイズが)生き物なのだなと改めて思う。自分のおかれている状況が把握できない。ただ目の前でおこっていることから逃げるしかない。俯瞰する視点がないってのは本当にこわくて、足が宙に浮いてるみたいだと思う。
この「全体を見せない」という演出は非常に効果的だったと思います。だからむしろ終盤の「のぞきこむ」シーンはいらなかった気もする。
ドラマの部分では、仲違いしたまま別れてしまった女の子のことが気になってきもそぞろになっている男の子の、あの心ここにあらずな仕草がとても印象に残った。切羽詰まっているときにはひとつのことしか考えられないってのは生理的なものだよなとか思う。はやくはやくってあせると手足がばらばらになりそうな感覚。
全編、緊張して画面を見守ってしまうという意味で、私はこの映画をすごく楽しんだけど、例えば「グエムル*1をみたときのような感情移入はなくて、帰り道、夜の歌舞伎町を歩きながら、ついビルの間に見える空を気にしてしまったりするくらい、とにかくこわかった。
それはやっぱり、手持ちカメラによって映される風景が、9.11後にテレビで繰り返し流された映像と重なって見えるからなのかもしれない。そのように作られている映画だと思ったし、むしろそこにのみ注力し、状況説明を極力省いた演出がこの映画の勢いになってたんじゃないか…と思う。

ところでテレビ越しに見たニュース映像と、映画館で見る映画との間に、記憶の仕方での違いはあるんだろうか。とりあえず自分の中で考えてみると、あるような気がするんだけど、それはなんでなんだろう…。

*1:id:ichinics:20060917:p1