『ボーイズ・オン・ザ・ラン』の連載が始まった当時はスピリッツを読んでいて、何回目かで、ああこれは『宮本から君へ』*1なんだなと思った*2。前作『ルサンチマン』からは新井英樹を想像することなんてなかったのでちょっと意外だったけど、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』は全編、宮本オマージュとして描かれていたように思う。その印象は完結するまで変わらなかった。
もちろん全然別のお話だし、別に「そっくり」とかそういうことじゃないんだけど、明確に宮本を意図して描いてるように思えるし、そうじゃなかったら驚く。ただ、そのへんについて作者が発言しているのを読んだことがなかったので*3、いまいち断言しづらいなと思っていた。
だから、定本『宮本から君へ』2巻*4の帯に
僕にとって聖書みたいなもんで
推薦文を書くことすら
おこがましいんですが、
他人に書かれるぐらいなら
自分が書きたいと思いました。
ずばり、世界で一番優れたマンガです。
って書いてあるのを読んだときにはすっきりした反面、ちょっと複雑な気分にもなった。
連載が終わってからずっと『ボーイズ・オン・ザ・ラン』の感想を書こうかなーとか思ってやめていて、このもやもやした気持ちは何なのかわからずにいたんだけど、この帯文を読んで、たぶんそれは『宮本から君へ』を意識して描かれてるってことになんだと思ったんだった。
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比較しようとして読むと、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』は、宮本と同じ役割をもつ人物を配置して、自分ならどう動かすか…というマンガなんじゃないかなと思う。
(ネタバレ反転)宮本と田西、ちはると甲田美紗子、大巌源と祐二。青山はいろんな人の役割をもっていて、まずは益戸だろうけど、時には神保のようでもあるし、でも拓馬ではない、かな。
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宮本が意地をはるために、恋愛にも仕事にもがちんこで向かっていくのに対し、田西の側では仕事についてはほとんど描かれない。かわりに配置されるのがボクシングだけど、これも、田西にとっては特別でないように見える。宮本みたいに土下座したままおいかけまわしたりとか、ああいう暑苦しさやみっともなさは田西にはない。
ここらへんは、もしかすると時代や世代の違いなのかもしれないけど、宮本があちこちにぶつかりながら(ほんとよくぶつかる)転がっていくのに対し、田西はずっと、一生懸命になる対象が見つけられずにいるように見える。
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宮本を読んでいると、がんばるって恥ずかしいことだなと思う。言ってることはめちゃくちゃだし、はた迷惑だし、でも力ずくで魅力的に傾くのがすごい。宮本の「意地」は、自分の手の届く「範囲」を破ろうとする意地でもあって、
むしろ『ボーイズ・オン・ザ・ラン』の田西は、その「範囲」は破れないよ、って言い続けてるような気がする。
それは宮本を「聖書みたいなもん」で「世界で一番優れたマンガ」と言ってしまうのと同じなんじゃないかなあーと思ったりした。
毎回引用してるけど、宮本から君へ1巻の筆者コメントにはこう書いてある。
ものわかりの良すぎる若い人間が嫌いです。
ものわかりの悪い年寄りが嫌いです。
クソ意地持った男が好きです。
気持ちに素直な女が好きです。
この文読むたびに、かっこいーなーっていつも思う。
*1:『宮本から君へ』の感想→http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20060108/p2
*2:たぶんそのときのめも→http://d.hatena.ne.jp/./ichinics/20051213/p2
*3:インタビューとかであったのかもしれないけど