人質の朗読会

人質の朗読会」という本を読んだ。
ある国で、日本人旅行客たちがツアーバスごと反政府兵士に誘拐される。やがて事件は悲劇的な結末を迎えるが、しばらくして、彼らが人質として監禁されている最中に語った物語が発見されて……というところから始まる短編集だ。

そこで語られる物語はそれぞれの個人的な思い出であり、互いに関連しあってはいないのだけれど、どこか共通するところもあって、
なのでこの本をきっかけに、もしも自分がこの場にいたら何を話すだろう、ということを近頃は考えている。
真っ先に思いついたのは、子ども時代のこの2人の話。

ユリちゃん - イチニクス遊覧日記
あみちゃん - イチニクス遊覧日記

そのほかにもあれこれと考えては、それは日記に書いたかな…と自分で検索をしたりしている。

そして今日、朗読会用に思い返していたのは、小学生時代のバス停での思い出だった。


私はその日、ピアノ教室へ向かうためのバスを待っていた。
以前は近所で教室を開いていたのが、その頃から先生の自宅での教室に変わったのだ。
当時の私はあまりピアノが好きではなく…というのも先生が厳しいからで、その日も十分に練習ができているとはいえず、きっと怒られるだろうなぁと思いながらバス停にいた。

そして、気づくと目の前に女性がいて、ベンチに座っていた私を振り返り「お金を貸してくれない?」と言った。
お母さんよりは少し若そうな、でも十分大人に見える人だった。
怪しい者ではない、急いで駅に向かわなくてはいけない用事があるのに財布を忘れてきてしまったのだ、住んでいるのはバス停の横の道をずっと行ったAスーパーの先で、取りに行くのは時間がかかる、
そう説明され、Aスーパーの先は確かに遠いと思った。小学生に大人が頼みごとをするという状況に、動揺してもいた。
「バス代だけでいいの」と彼女は言った。
当時のバス代は、おそらく200円程度だった。ピアノ教室の日なので余分にお金を持たされてはいたはずだけれど、当時りぼんを買う程度の小遣いしかもらっていなかった自分にとっては十分大金だった。
しかしバス停には私たち2人しかいなかった。
彼女は悪い人には見えなかったし、確かに困っているように見えた。
なので私は200円を貸すことにした。

同じバス停にいたものの、私と彼女は待っているバスが違っていた。ほどなくして彼女の乗るバスが来て、私が乗らないこことに気づいた彼女は慌てたように電話番号をたずねた。
そうして私は迷わず、嘘の電話番号を答えたのだった。


当時の自分は、おそらく知らない人にお金を貸したことが親にバレるのが嫌で嘘をついたのだと思う。知らない人について行ってはいけないとよく言われていたし、これはその範疇にある出来事のような気がした。
大人になった今思えば、見知らぬ人に電話番号を教えなかったのはそれで正解な気もするのだけれど、

ただ、今思い返すと、あの人はまるで家事の途中で家を出てきましたという様子だった。財布どころかカバンも持っておらず、
まるで何かから逃げている最中だったのかなという気もするのだ。
勘違いならいいなと思う。
でも200円が役に立っていればいいなとも思う。
そして私が伝えた嘘の番号に、かけていなければいいなとも思うのだった。



先日、ある読書会をした時に「百年と一日」という本について、記憶のある一点を、拡大してみたような本だという話をした。無作為にGoogleMapのあるポイントを拡大した時のような。見知らぬ場所に、様々な記憶が降り積もっていることを発見したような。
その流れで「人質の朗読会」も似た雰囲気のある本だと教えてもらって読み、彼女の言っていたことがわかったような気がした。

結局この日記を書いているのも、朗読会に参加しているのと同じようなことなのかもしれない。


どうしても子どもの頃の記憶の方が思い起こしやすいような気はするのだけれど
今年のことも、いつかの朗読会のためにまとめておければなと思う。