「魔王」/伊坂幸太郎

魔王

魔王

すごい。これは今、読まれるべき本なんじゃないかと思う。私は読んで良かった。
物語は前後編に別れているのだけれど、基本的には一つの物語です。今までの伊坂幸太郎作品と大きく異なるのは、視点(主人公)がその1編づつでは一貫しているということ。それから今までの作品が計算されつくしたような構成をもっていたことと比べると、少々荒っぽく感じるところもあるのだけど、これを書かなくてはという意志の圧力みたいなものを感じる作品だった。ただ、その圧力は作者の「意見」を押しつけるようなものではないです。きりぎりまで具体的な(現実における)共通認識に沿うような形の比喩をとり、「現代」に対する警鐘としてのメッセージが込められているのにも関わらず、その語り口に軽やかさを感じるのはやはり、伊坂作品ならではかもしれない。

「(略)戦場から帰ってきた兵士に、『なぜ人を撃ったのか』と質問をした時、一番多い答えは何かと言うと」
「殺されないために?」
「俺もそう思ったんだけど、違いました。一番多いのは、その本によれば」
「よれば?」
「『命令されたから』」
(中略)
「他の要因は?」
「集団であること」(p112)

一人の魅力的な政治家が登場し、ゆるやかな集団心理によって国全体が押し流されて行くことへの危機感を感じる主人公が第1話「魔王」で描かれる。
そして第2話「呼吸」では、彼の弟の彼女の視点から、第1話から5年後の日本が描かれる。憲法改正についてのくだりなどは、まさに今、起こりつつあることじゃないか、と鳥肌すら立つ。
だからといって、この物語はファシズムを批判するというものでもない。「紙を二十五回折り畳むと、富士山ほどの厚みになる」という台詞がp210に出てくるのだけど(これびっくりしたけど計算したらほんとだった)これは0.1ミリでもかけていけば富士山になる、ともとれるし、0.1ミリをかけない判断の大切を訴えているようにも思える。この物語は、あくまでも架空の物語だ。しかし謎解きもなければ結論もない。読者に意見を問うための作品なんだと思う。

考えろ考えろマクガイバー

そう言われているような気持ちになる。圧倒的なものの前に無力さを感じたとしても、自分で考えて動かなくちゃ、と気付かされる。
「チルドレン」を読んだ時にも思ったけど、伊坂さんの作品を読むと、どんな人にだって出来る事があるんだと、言っているような気がする。この「魔王」でも、ラスト近くp253、273で語られるムッソリーニ処刑の場でのエピソードなどに、作者の希望が込められているような気がした。
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【追記】紙をおるところの記述は、0.1と書いてますが本には0.09ミリで出てきます。最初間違えて1ミリと書いてたけど1ミリじゃあとんでもない数字になっちゃうとこだった。