思考停止文章ってなに? その2

先日書いた「思考停止文章ってなに?」という文に、米光さん(id:yonさん)からレスをいただきました。感謝。
これはもともと「がんばれ思考停止ちゃん!」「がんばれ思考停止ちゃん2」という文章を読んで(「がんばれ思考停止ちゃん3」もですが主にこの2エントリ)を読みながら書いた文章でした。
そしてわりと古い(一年半前)のエントリだったこともあり、もともと米光さんが何を読んでこれを書かれたのか、の「何を」の部分にあたるリンク先は消えていて参照てきず(なんとなく察するくらいで)、私の文章は主に以下の箇所に関する違和感になってしまっていた。

2.“と思うのだが”“ではないか”を多用する。
ろくに考えずに書くので、根拠も自信もないのが文末からにじみでてしまっちゃう。
http://blog.excite.co.jp/yone/1368848/

「と思う」や「ではないか」は、ろくに考えてないことの現れというよりも、保留の現れではないのかな? というのが主に私が考えていたことだった。もしくは「個人的意見ですよ」のエクスキューズか。
でもコメントいただいたことで、かなり見え方が変わった。

根拠を重ねて、最後に「と思う」と自分の考えを述べるのならいいけど、「と思う」「ではないか」で言ったことを前提に考えを積み上げて、推論に推論を重ねて結論を投げつけるような文章は、どうよ、ってことです。多用して積み上げるのが問題。
あぁ、そうか、
「と思う」「ではないか」で述べたことを根拠として論を進めるとトンデモになる、って書けば、もっと適切だったかもしれません。
http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20060511/p3#c

なるほど、そのとおりだ、と思った。
でも、例えば(あくまで例えばですが)「この事件の原因は犯人のゲーム脳ではないか?」という発言の思考停止は「ゲーム脳」という前提を疑ってないことにあり、「ではないか」を多用することではないんじゃないの? ということを、コメントで返しました。
でもこれも、私の思考停止だったのですよね。

思考停止しているから、それが言葉になって現れている。だから、その多用された言葉を禁止して書くと思考するきっかけになる、と考えます。
(上記リンクと同じ日付けにいただいたコメント)

これが二回目にいただいたコメントです。
わーなるほど! と思いました。つまり前提を疑うという作業を怠ることが、思考停止に繋がる。例えば「ではないか?」という箇所が一つの文章の中に複数回でてくるとする。でも、それが推論である、ということを、自らが忘れてはいませんか? という問い返しがきちんと行われているのかどうか。そしてその推論が「いまのところ」成り立っている根拠となっている「それ」、についても、疑う余地はあるはずだ。もちろん、それを言い出したらキリがないし、「疑う余地が完全になくなる」ことなんて、ないんじゃないかなぁ、というのが私の思いでもあるわけなんですが、ともかく。
自分の「思考停止」を発見するきっかけ作りとして、「ではないか」を疑ってみる、例えば「〜と思う」から「なんで私はそう思うんだろう…」へ、「〜ではないか」から「でも、ほんとに?」へ、って感じに問い返しを行うというのは、確かに効果的だと思います。
特に、個人的な思いを書き綴る場ではない場合(公的な文章など、信憑性が求められる文章や、誰かを傷つける可能性のある文章の場合)に、それはとても重要なことだと思う。

今回の文章についても、私はきっと「これはきっと特定の文章に対する反論なんだろうなぁ」という前提のもとに「書かれた文章」についての文章であることを疑ってなかったんだと思う。でも、それを「書く時の自戒、思考停止発見の用法」(って最初からちゃんと書いてあったんですよね。ごめんなさい)としてきちんと読み直すことで、自分の思考停止にも気付くことができた気がします。
昔のエントリだし、レスをいただけるなんて思ってなかったので、考えを先にすすめる切欠をいただけて嬉しかったです。「これがうぇぶにーてんぜろか!」とか思いました。そしてここの「思いました」には「うぇぶにーてんぜろとか、わかるまで調べるのがめんどくさいなぁ…」という思考停止があるのです。そもそも1.0がなんなのかもわからないのですけど。