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 あなたを選んでくれるもの/ミランダ・ジュライ

君とボクの虹色の世界」公開後、2作目の脚本執筆中にミランダ・ジュライが行っていたというある「ミッション」の様子を描いたノンフィクション。
そのミッションというのは、『ペニーセイバー』という、日本で言うところの「売ります買います」を集めた冊子に広告をのせている人たちに電話をかけ、インタビューを申し込む、というもの。この本はそのようなインタビューを写真入りで紹介していくという構成になっている。
しかし、この本が通常の「インタビュー集」と異なっていると感じられるのは、インタビューによって浮き彫りになるのがむしろインタビュアーの側、みたいに感じてくるところだった。

個人的な話になるけれど、今年私がやっていた仕事のひとつに、ある特定の悩みを持つ人たちに会って、話を聞いて、原稿にまとめる、というものがあった。
取材などに行くことはこれまでもあったけれど、書くことは私の本来の仕事ではない上に、人に会ってインタビューをするのはほぼ初めてのことで、私はこれをどう行えばいいか、かなり迷った。インタビューの相手は、ある悩みを抱えているという共通点だけがある、ごく一般の人であり、中には学生もいて、彼らの多くはインタビューを受けることは初めてだったと思う。私は当初、そのような場で接する大人として彼らを不快にしてはいけない、という気持ちが先立ち、しかしそのような甘い心構えで、本来この原稿に求められる核心的な部分に触れることができるのだろうかと不安になっていた。
彼らの悩みは切実なもので、だからこそ私は何度もそれにひきずられそうになったし、そのことで彼らの中に自分が見たいものを、見ようとしているだけなんじゃないか、と何度も考えた。

この本に出てくるインタビューは、もちろん私が行っていたインタビューとは種類の違うものなのだけど、私がこの本を読みながら真っ先に思い出したのはその、人に会って、話を聞くということは、結果自分を見ることと同じなのではないか、という感覚だった。
著者の中には常に、完成していない映画の脚本のことと著者自身の人生についての逡巡があり、出会った人たちに対して、これをその相手が読んだらどう思うのだろか? と考えてしまうような、あけすけな言葉も平等に書き連ねていた。

誰でも自分の物語は、その人にとっては大きな意味をもっているのだ。p36

この本におけるインタビューは、そのような他人の物語を自身で濾過し続ける作業のようだった。でも物語とは、そのように主観を通さなければ産まれないものなのだろう。そして、だからこそ、この本の結末に待ち受けている、贈り物のような出来事にたどり着くことができたのではないか、と思う。

この世界には無数の物語が同時に存在していて、ジョーとキャロリンもその一つに過ぎないのだと思うと、なんだか胸が苦しかった。(略)登場人物を誰もかれも入れることができないのは、なにも映画にかぎったことではない。他ならぬわたしたちがそうなのだ。人はみんな自分の人生をふるいにかけて、愛情と優しさを注ぐ先を定める。p229

この本はある映画が完成するまでのドキュメンタリーにもなっている。私はまだそれを見ていないので、近いうちに見てみようと思っている。そのようにして他者の物語を自身で濾過したときに、何が残るのか。それを見たくて私は物語を摂取するのかもしれない。