年末年始日記

 休みを溶かす、という表現がぴったりな冬休みだった。確か10日近く休みがあったはずで、その間にやろうと思っていたことも幾つかはできたはずなのに、振り返ると1日ごとの切れ目がどこにあるかよくわからない漠然となんだか長い1日を過ごしたような気分だけが残っている。
 そもそも休みのはじまりはクリスマスだった。
 クリスマスが終業日で、せっかくだからケンタッキーでも食べるかなんて思ってのぞいてみたら並んでいたから気持ちが折れて、その日結局何を食べたかは忘れてしまったけど、あけて翌日、家に遊びにきてくれた友だちとケンタッキーを食べたのだった。
 飲みにも行った。何年かぶりにコミケにも行って、噂のベローチェ選抜を見学したりもした。噂のベローチェ選抜というのは、コミケが開催される3日間には、全国各地のベローチェから店長が集って店を回す、という噂のことで、実際に訪れてみたら期待以上の客さばきぶりであり、混雑した店内でも常に目配り気配りの接客に感動したのだった。私はその昔、小売店で働いていたころから混雑した店内というのが割と好きで、いつか、さばききれない客に悲鳴をあげている小売店の前を通りかかり「よければお手伝いしましょう」と声をかけてさばきまくる、という状況に憧れていたのだけど、実際私にそんな能力や勇気があるわけでもなく、だからそれは夢未満の妄想に過ぎない。ただ、噂のベローチェ選抜を目の当たりにして、あのような選抜に入るということに対する憧れを新たにした年末であったことは確かだ。
 それから何があったっけ。ほんの数日間のことなのに、年始と年末の間には大きな隔たりがある、感覚になる、というのは何年経っても面白いことだなと思う。
 大晦日は昼間に来客があり、年越しそばを食べてから実家へ帰った。紅白歌合戦を見ながら、母親はずっとアプリゲームをやっていて、ハートを送って欲しいとねだられ、インストールしたりもした。パズルゲーム的なものにはまると時間が無限に吸い取られることは学習しているので、あれは近いうちに、削除しなければならないと思っている。

 そうこうしているうちに年があけ、甥っ子とともに訪れた弟夫妻と元旦生まれの父親の誕生祝いをした。
 写真を撮りたい父親が、まだ赤ちゃんである甥っ子を振り向かせるために、キーホルダーを振り回して「トナカイですよ~」と言い続けていたのは意味がわからなくておかしかった。基本仏頂面な父親は、甥っ子が生まれたばかりの頃も「おじいちゃんになった実感がわかない」と焦っていたが、あんなに大はしゃぎしている様子をみると無事孫煩悩なおじいちゃんにクラスチェンジしたのだと思う。よかったよかった。
 そしていつもどおり電車に乗り、喫茶店で少し本を読んで帰宅して、海外に住む友だちと電話であけましておめでとうを言った。そんな1年のはじまりだった。

 毎年思うのは、連綿と続く365日の中の1日であるというのに、元旦の空気はいつも真新しいということだ。朝と夕方が入り混じったような光の中で一時停止ボタンをおしたかのような光の色も、伸びる影の濃さも、いつもより静かな街中もぜんぶ、真新しく同時に世界が終わってしまう前日みたいだなと思う。
 ながらく、もう自分は何かに夢中になることはないんじゃないかと思っていた。けれどそうでもないということに気付いたのは昨年の大きな収穫でした。
 音楽を聴くのも映画を見るのも本を読むのも文章を書くのも、最近はなんだかすごく楽しい。
 なので今年は、なるべくたくさん、日記を書きたいなと思っています。いつかこの日記も溶けて圧縮された一文になることを想像しつつ。