カーテン、電車、ドトール

月曜日、カーテンを注文していた先から、当面休業になるので店舗受け取りができなくなったという連絡をもらった。ありがたいことに無償で発送に切り替えてくれるようなので、カーテンなしの生活を送ることにはならなそうだけど、まだまだ決めなければならないことが多々ある中、この調子でちゃんと引っ越しができるのか不安だ。

火曜日、いよいよ緊急事態宣言がだされる……というニュースを見ながらいつも通りの出勤準備をする。電車もここひと月は通常の7割程度の乗車率に落ち着いているけれど、せいぜい「人と触れ合わずに立てるくらい」というものだ。いろいろと落ち着かないけれど、天気がいいので、それなりに機嫌は良い。
帰りの電車で友人に出くわし、少しだけど話ができて嬉しかった。

水曜日、緊急事態宣言がだされたせいか、通勤電車は目に見えて人が減った。おそらく最寄りの路線でいえば休日の昼間くらいだと思う。つまり空いてはいない。みんな途方にくれた顔をしている。
このまま漫然と通勤を命じられたらどうしよう、と思っていたが、勤め先でもなんとか隔日で在宅と出勤を入れ替える勤務体制をとることに決まった。運用はおそらく来週からになる。全てが遅いよね…なんていいながら昼休みにいつものドトールへ向かうと、緊急事態宣言が解除されるまで休業という張り紙があった。
私はほぼ毎日、1日に2回ドトールに行く。ちょっと一息つきたい、というときは知らない街でもドトールを検索するくらい、ドトールセーブポイントとして生活しているので、
いつものドトールの急な休業にはかなり動揺してしまった。もともと目減りしていた出社のモチベーションが一気に3パーセントくらいまでに落ちた。
在宅勤務がはじまったら近所の気に入りの店が夜営業の代わりに始めたと言う弁当を食べるのだけが楽しみだ。

2020年春のダンボール

・ベッドを買い替えたい
・洗濯機を買い替えたい
・ルンバを買いたい
などなどの現実的な欲求とか、たまたまみかけた、こんなのが家にあったらいいなあと思うような家具(しかし今の部屋には置けない)だったりとか、長く住むつもりで部屋を整えたいなとか、そんな諸々のスイッチが積み重なって、いっそ部屋を買おうと昨年の11月頃に思い立ち、今月引っ越すことになった。

決まるまでのことについては、改めて引っ越しが終わった後にでも書いておきたいと思っているのだけれど、
いま現在は大量のダンボールに埋もれた部屋の中で、新型コロナウイルスについてのニュースを見ていたりする。

今後、平日も含めた外出自粛の事態になったとして(なるだろう)、引っ越しは不要不急に入るのだろうか。私にとっては要だし至急だけれども……などと考えて気が滅入らないといえば嘘になるが、明らかなストレスを感じている、というほどでもないような気がするのはおそらく身の回りの人が無事でいてくれるからだろう。

ながらく時差通勤以外の対応の様子がなかった会社も、ようやくリモートワークの検討にはいったらしい。とはいえ実現するかどうかわからないし、似たような状況にいるのか、通常の7割程度になった通勤電車で見かける人の多くはあきらめ顔に感じる。

4月に入ったけれどまだすこし寒い。桜が長持ちしそうなのは嬉しい。たとえ花見ができないとしても。

WERQ THE WORLD に行ってきました

ル・ポールのドラァグレース(RPDR)出場クィーンたちによるワールドツアー「WERQ THE WORLD」に行ってきました。
RPDRにはまってからというもの、WTWをはじめとするRPDR関連イベントや、クィーンたちのステージをインスタグラムなどでみるたび、いつかアメリカ(やそのほかの開催国)に行って、生でクィーンを見たい…と思いを募らせていました。
なので、昨年WERQ THE WORLDの《アジアツアー》が行われるというニュースが飛び込んできたときは夢のようでした。しかもその中に日本も入っているなんて…!

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それから数か月、クィーンたちの来日を楽しみにしてきたのですが…………、
諸々の騒ぎで、ここひと月ほどは「本当に開催されるのかな」「きて欲しいけど、クィーンの健康第一だからな…」みたいな葛藤があり(きっと多くの参加者がそうだったと思います)、そのようなヨボヨボした気持ちで当日を迎えることになってしまいました。
でもそんな気分はあっという間に吹き飛んだ。

暗転して、音楽が鳴り響き、クィーンたちが姿を表した瞬間「ここが現場なんだ」と思った。
ずっとPC画面やスマホの画面の向こうにあった、眩く発光するクィーンたちの世界が、目の前にあった。
プラスティークは絶世の美女だったし、目玉焼き柄のドレスを着たキム・チーはポップ&キュートだし、大好きなデトックスのヒップラインは会場後方から見てもスタニングだったし、アクアリアがドラァグ版「碇シンジ」リアルネスで登場したときは会場がどよめいたし、ヴァイオレット・チャチキは人類の至宝だった。
いきなり最高の洪水を浴びて頭がスポンジみたいに穴だらけになっていたところに、MCのモネが登場。全開の笑顔で「東京盛り上がってるねぇ!」と嬉しいことを言ってくれて、頭の中がパンケーキの蜂蜜漬けみたいになる。聞き取りやすい英語で、アクアのうちわをもっていたお客さんに「モネうちわはないわけ?」なんていじりをいれたりしながら、会場の「いいのかな?」気分をあっっという間に払拭してくれた。
モネが様々なセクシュアリティに呼びかけ、ここがセーフスペースであることを伝える場面では、ふと自分のセクシュアリティについて振り返って考えたりもした。そういうことを、ここにいるみんなが考えているんだろうなと思える場に居られることが、なんだかとても嬉しかった。

そして、そこからの怒涛のパフォーマンスは一瞬ごとに圧倒されてしまって、久しぶりに「叫びすぎて喉が痛い」状態になったのですが、忘れないうちに以下、感想メモを書いておきたいと思います。

プラスティーク・ティアラ/Plastique Tiara

S11出場クィーンかつ、私の推しであるアリッサのドラァグドーター。
まるで武侠小説のヒロインのような、美しくたおやかで、なおかつ力強いパフォーマンスが素敵でした。あと、音楽はドラァグマザーであるアリッサVSココ・モントリースの名勝負でも使われた「cold hearted」が使われていてグッとくる。あとマドンナの「Frozen」。この曲大好きだし、ファンタジックなプラスティークのパフォーマンスにとても合ってた。
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キム・チー/Kim Chi

S8出場クィーンであるキム・チーについては、WERQドキュメンタリーも見ていたのでどんなパフォーマンスをするのか楽しみにしていました。そしたら冒頭の目玉焼きが前フリだったのかな? まるでテレタビーズのようなシュールな教育テレビテンションで、チキンラーメンパッケージみたいなひよこが舞い踊るという、中毒性のあるパフォーマンスでした。途中で小麦粉の入った卵を割る演出があるんですけど、小麦粉はキム・チー自身が日本のセブンで買ったそうです。かわいいかよ。

デトックス/Detox

私は特にS5とAS2を熱烈に推しているので、デトックスのことはもともと大大大好きなんですけど、今回のパフォーマンスは特に、AS2のタレントショーを彷彿とさせるような、デトックス得意のネオンカラーパフォーマンスでほんと最高でした。とにかくボディラインが最高で見とれてしまう。気づけばデト様のヒップラインを見ていた。

モネ・エクスチェンジ/Monét X Change

15分休憩後、「次は誰だろうね」なんて言いながら見ていたら、ピンクのバーレスク風羽扇子の中からモネが登場…!ミュージカル「pipin」の曲を使ったパフォーマンスで、面白くて可愛いパフォーマンスをするのがめちゃくちゃモネだった。帽子の中を覗き込んでそこから取り出したものは〜中指を立てる!みたいな流れね、TLでうまい写真をあげていた方がいたけど、ほんとあの心意気で生きていきたい。最後のボディスーツがめちゃくちゃキラキラしていて、後ろに立ってたひとが「めちゃくちゃキラキラするな」って言ってて、ほんとにねー、と思いながら聞いていた。
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アクアリア/Aquaria

そしてS10出場のアクア…! アクアがすごいのは知ってたつもりだったけど、今回のパフォーマンスで私は全然アクアを知らなかったことがわかった。アクアは本当にすごい。あの小さな*1体でパワフルにステージを飛び跳ね、絶妙なタイミングの衣装替えに観客は悲鳴をあげるし、最後は空中ブランコでくるくる回る。えっ、ちょっとそんなに回る??? と思うくらい回っていてすごいパワーがある。
冒頭のシンジくんからラストに至るまで、圧倒的に次世代センターのアイドル感があり、まるで流れ星みたいだなと思いました。
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ヴァイオレット・チャチキ/Violet Chachki

S7登場時から一貫して唯一無二の存在でありつづけるヴァイオレット・チャチキですが、あれから5年が経ってすっかり貫禄がついたチャチキの現在のパフォーマンス、ほんとちょっと異次元でした。
ロケット(かな…と思ったけどおそらくペニス)型の空中ブランコでのパフォーマンスは妖艶な万華鏡のようでチャチキの世界の一端を覗かせてもらったような気持ちになった。
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個人パフォーマンスが終わった後、再び全員集合のパフォーマンスになだれ込んだのですが、ここまでくるともう多幸感が溢れすぎて倒れそうでした。
この東京公演がツアーファイナルだったこともあり、いくつかの衣装を惜しげも無く客席に投げ入れていくクィーンたちの軽やかさ。この舞台をステージ上のクィーンたちも楽しんでいるように見えたのも嬉しかった。
包容力のあるMCモネ、一挙手一投足が色っぽい長女的なデトックス
ブラックジョークの切れ味もさすがなキム・チー(めちゃくちゃ笑った)。
クールなチャチキの「群れないけどたまにはいいわね」感(あくまでも印象)。
そしてプラスティークとアクアのキキララのようなキラキラアイドル感…。
全員のこともちろん大好きだったけど、これまで以上に大好きになってしまった一夜でした。

見る前は申し訳なさがちょっとあったけれど、そんなのあっという間に吹き飛ばしてくれる多幸感のあるステージ*2を本当にありがとうという気持ちです。
いつかまた落ち着いた時に来て欲しいし、私も彼らの国へ見に行きたいと思った。
ありがとうWERQ THE WORLD、ありがとうル・ポールのドラァグレース…!
数日たった今も夢を見ていたみたいです。

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*1:今回のクィーン比

*2:もちろん対策は諸々しています

2019年に見た映画ベスト10!


12月の序盤に、昨年に引き続き友人2人と「今年の映画ベスト10」を発表しあう会をやりました。昨年と比較すると3人の間で共通して挙がった作品が多くありつつ、私が見ていない/これから見たい映画もたくさん教えてもらえてとても楽しい会でした。
そして12月も終盤となったので、その時のベストと入れ替わった作品が1作ある状態での今年のベストをまとめたいと思います。(でもそれも明日には入れ替わっているかもしれない…)

10位「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」

4時間近くあるドキュメンタリーなので、映画館でなければ一気に見るのは厳しかったかもしれない。でも、今年はアメリカのコンテンツにはまったりしたことでアメリカの「地域性」みたいなことに興味が出ていたので、この映画はNYの中の地域性みたいなものを理解するためのよい補助線になった。「リズム+フロー」でもチャンスザラッパーが、シカゴの公共図書館で音楽づくりを学んだ…と話しており、ああこれは「NY~」で見たあれだなと思ったりした。こういう、興味のある「地域」を知ることができるドキュメンタリーをもっとみたいな。

9位「映画 刀剣乱舞

実写映画と2.5次元舞台をとてもうまく繋いだ作品であるとともに、「本能寺の変」の解釈としても新鮮で満足度が高い作品でした。3回見たけど毎回面白かった。
あと、「2.5次元」を説明するときに、原作を読んでいない状態で舞台をいきなり見せても、楽しみが伝わりきらない気がする…と思っていたところに、単体で説明しきれている、しかも手に取りやすい作品がでてきたというところも大きかったように思います。海外の文通相手に2.5次元を説明する際にぜひこれを見てくれと「映画 刀剣乱舞」を挙げたけど英語版はまだ出てないっぽくて残念…。

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8位「バーニング」

村上春樹の映像化作品はいくつか見たけれど、この韓国を舞台に描かれた「納屋を焼く」であるところの「バーニング」が最も、私の好きな村上春樹の雰囲気に近いところがあるように感じた。彼女の部屋の雰囲気や、姿の見えない猫、納屋の表現、会話のテンポなど、静謐であるのにどこか宙に浮いたような居心地の悪さを残しているような感じがとても80年代の村上春樹だな、と思った。極め付けにダムが出てきたのが最高でした。村上春樹といえばやはりダムだよね…。

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7位「HiGH&LOW THE WORST」

ハイローシリーズはほぼ全部映画館で見てきた程度には好きなつもりでしたが、それでもまだドラマは見切れずにいた自分がザワを見た後その足でHuluに入り直しエピソード0とドラマ版全部完走するくらいには勢いよく最高でした。もともと鬼邪高が好きで轟推しなので、村山さんの卒業がほのめかされていたりしたのには不安がありましたが、そこに現れた新主人公のキャラ設定、大正解すぎて改めて鬼邪高校が好きになりました。通いたくはないけれども。あと余白の残し方もうまくて、色々捗る。

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6位「よこがお」

とても印象に残っていて、今後も折に触れて思い出すだろうなと思う作品。狂うことなくどこまでも真面目に、ある意味誠実に復讐を成し遂げようとする女性の物語。ある意味瞬間的にでも狂えてしまった側の人ばかりが解放されているように見える様は理不尽にも思えるのだけど、主人公の佇まいは「かわいそう」とも違っていて、今も時折彼女のことを考える。
深田晃司監督の作品はこれで初めて見て、見終えたあとに「淵に立つ」を見た。これもよかった。まだ見れてないものも多いけれど今後の作品は追いかけていきたい。

5位「工作 黒金星と呼ばれた男」

今年は過去作含め、ファン・ジョンミンが出ている映画を3作(コクソン、アシュラ、そしてこれ)見たのだけど、どれも全然違う人に見えるのがすごい。
工作は実話を基にした潜入捜査ものなのだけど「北朝鮮」が主題にある映画を初めて見たことの新鮮さも相まってとても印象に残った。そして、決して同じ道を歩けはしない2人の男の運命の出会いの物語でもあって、このラストシーンのこと一生忘れないだろうなと思います。ラストシーンが印象的な映画はよい映画。

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4位「マリッジストーリー」

「ブルー・バレンタイン」と比較されているのを見たりして、わりとしんどい気持ちになる映画なのかなと構えてみたのですが、もちろん辛いことはあるのだけれど、見ている間なぜかとても穏やかというか、ああ、家族ってこんな感じだよな、だめになっても良い時はちゃんとあるんだ…と思ったりする映画でした。
アダムドライバーもスカーレットヨハンソンもとても好きになってしまう映画だった。
「ブルー・バレンタイン」は引き返せる要素がなにもないことが辛い映画だったけれど、「マリッジ・ストーリー」の場合は、引き返せるタイミングをいくつも拾い上げたくなるところが辛いように思う。でもみんな幸せになってくれ、と思いながら見終えました。とてもよかった。

www.netflix.com

3位「スパイダーバース」

複数次元の「スパイダーマン」が一堂に会して事件を解決する…という物語で、その描き方やキャラクター造形の多様さなどがとても印象的な気持ちの良い作品だった。
今年は自分にとってMCU元年のような年でもあったけど、このスパイダーバースを見たのが「MCU」という言葉を理解した(MCUとスパイダーバースは別ユニバースなんだと説明されてやっとぴんときた)きっかけでもありました。

2位「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」

「殺された女優」になってしまった彼女のイメージを、輝いていた女優として上書きしなおしたい(かなり意訳)ということをタランティーノが語っていたのを聞いてとてもぐっときた。事件やスキャンダルに巻き込まれてしまったことにより、その人のそれまでの活躍のことを知らないような人もその事件でラベリングして語られてしまうというのはとてもよくあることだ。そしてそれは覆すのがとても難しいことで、でもタランティーノはこういう方法でそれをやってのけたのか、というところがね、ほんと良いと思いました。

1位「アベンジャーズ/エンドゲーム」(アベンジャーズシリーズ)

アベンジャーズシリーズには完全に乗り遅れていたのですが、今年になって、アベンジャーズ終わるらしいという話を聞き、じゃあその公開までに全作品みるか〜、とアイアンマンから見はじめたらまんまとはまったというのが今年の4月〜5月、つまり平成の終わりの出来事でした。めちゃくちゃ面白かったです。これをね、せめて3年かけて追いたかったとか、そういう気持ちももちろんありますし、スティーブ&バッキー推しとしては、エンドゲームは本当に辛くて3回みて3回とも嗚咽が漏れましたしそれだけでなく、嘘だといってくれ、と思うところがないわけではないけども、そういった感情の揺さぶられ方をするようになったきっかけは明らかにエンドゲーム(の公開にあわせた履修)なので、今年の1位はエンドゲームです。「ファルコン&ウィンター・ソルジャー」楽しみです。でも(以下略)

アベンジャーズ/エンドゲーム(字幕版)

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  • 発売日: 2019/09/04
  • メディア: Prime Video


今年のベストはこのような感じになりました。
これをみた後に「パラサイト」の先行上映もみたのですが、これは来年公開ということなので来年組に入れたいと思います。

ちなみに2010年代も終わるということで、Twitterに書いた2010年代のベスト10はこんな感じでした。

箱根読書日記

今年の秋頃はとても忙しかったので、「遠くへ行きたい」欲が募ったある朝、目前に人参をぶら下げるべく旅行サイトを開いて宿を予約した。昨年の今頃も、不意に思い立って湯河原に行ったのだけど、今年は箱根に宿をとった。
遠くへ行きたいというのは、自分にとって「移動したい」と同義で、「移動したい」は概ね「移動しながら本が読みたい」だ。
だから、予約した日までは「読みたいリスト」から旅行に持っていく本を選んで注文したり、予約した旅館の口コミを見ながらこれはすごくいいか、自分には合わないかのどっちかだな、なんて予想することを楽しんで過ごした。

そして先週末、ようやくその人参を食べる日がやってきた。16時チェックインだったので昼までFGOアトランティスがきてたので…)をやってから家を出る。
コンビニでビールとつまみを買って、ロマンスカーに乗る。小田急沿線出身なのでロマンスカーには馴染みがあるけれど、実際に乗るのはいつぶりか思い出せないくらいだ。

1冊目はハン・ガンの『すべての、白いものたちの』にした。以前お勧めしてもらってすぐ買ったのだけれど、手に取った装幀の美しさが気に入り、きっと好きな本になるだろうと「いざという時に」とっておいた。
「白いもの」にまつわる掌編集で、没頭しているうちに気づいたら別の場所にいるような本だった。まるで雪のように風景を変えていく。
箱根に着くと、側溝から白い湯気が上がっていて温泉地であることを感じた。駅前のバスに乗って10分程度で宿に着く。16時頃で、もう息が白い。チェックイン時の説明が長く、これは口コミにあった通りだなと思いながら白いお猪口に入った白い生姜湯を飲んだ。


すべての、白いものたちの

すべての、白いものたちの


昨年泊まった湯河原の宿もそうなのだけど、今回の宿もいわゆるリノベーションをした宿で、館内は古く少し祖父母の家のような匂いがした。案内された部屋は広くさっぱりとしていて、ちゃぶ台と座椅子の他に、ロッキングチェアと作りつけの文机まであるのが気に入った。
その3つの拠点をぐるぐると回りながら、今度はヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』を読む。窓の外の、夕暮れと呼ぶには白すぎる空を眺めながら、いつかこんな風に、何もない、本を読むための部屋が欲しいと思った。

夕食を食べ、満腹感がおさまるまでまた本を読み(たまにFGOをやり)お腹が落ち着いてから温泉に入った。
小さな宿だからか、入ってから出るまで誰にも会うことなく広い湯船にのんびりと浸かることができたのは嬉しかった。天井から落ちてくる滴があちこちで湯の表面に波紋を広げている。水面にあたる照明のせいで、壁にその波紋が飛んでいくように映り、まるでホーンテッドマンション(にある霊が飛んでいく場面)のようだなと思ったりもした。
部屋に戻って、布団と白いシーツ、白い羽布団、白い枕、白い毛布のセットを用意しておいてから(自分でひくタイプの宿だった)、買い込んできたビールを飲みつつまた3か所を回る。

風呂が気に入ったので、「朝風呂にも入りたい」と思いながらいつもよりは少し早めに寝たが、結局朝食ギリギリに目が覚めたのでやはり早起きは向いていない。朝食に湯豆腐が出たので、これもまた白いものだなと思いながら食べた。箸で割るときに少し弾力を感じるのが楽しい。
食後、チェックアウトまで2時間程度あったので(そしてその時間にはもう風呂が閉まっていたので)ギリギリまで本を読んで宿を後にした。

帰りは下り坂なので駅まで歩くことにした。箱根に来たかったのは好きな作品の舞台だからでもあるのだけど、どの道も「これがあのキャラクターたちの地元なのだな」なんて考えながら歩けばまだ見ぬ思い出の宝庫だった。今年は紅葉が遅かったので、まだ所々に赤や黄色の葉が見えるのも美しく、深呼吸をするとどこか甘いような匂いがした。
駅に出てから、その作品に出てくる好きなキャラの実家(のモデル)と言われている旅館を見に行くためにまたバスに乗った。写真では何度も見たことがあったけれど、実際に目の当たりにすると、その実在感が増すというか、彼ならこの文字が消えかけている駐車場の案内が気になっていたりするんじゃないかとか、この階段を掃き掃除したりしていたのかなとか、ここから駅にでるときは、バスなのか自転車なのかとかあれこれ想像できてよかった。
歩いて数分のところにある庭園も気持ちがよく、せっかくなのでまた本を読もうとしたが、寒かったので早々に退散した。

年始に実家に行く際の手土産にしようと思い、和菓子屋にも寄った。日持ちのする菓子を買いつつ、視線は名物の湯もちに釘付けになる。「すべての、白いものたちの」のなかに「タルトック(白い餅)のように美しい赤ん坊」という表現が出てきたのだけれど、それはこの餅のような白さだろうか、と考える。店が混雑していたので「追加で湯もちもください」と言えずじまいだったことをこれを書いている今も少し悔やんでいる。

帰りもまたロマンスカーに乗り、そこで『自分ひとりの部屋』の続きを読み終えた。これはケンブリッジ大学の女子カレッジで行われた「女性と小説」という講演をもとに書かれた本で「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たなければならない」ということが繰り返し語られている。これが書かれた時代と現在とでは、随分良くなったところもあればーー依然として変わらないところも多数ある。
最近身の回りで起こったいくつかの(主に仕事がらみの)理不尽な出来事と重なる部分もありつつ読んでいたので、5章のラストには思わず視界が滲んでしまった。ここはクライマックスなので抜き書きはしないけれど、続く最終章の

「性別を意識せざるを得ない状況をもたらした、すべてのひとたちの責任が問われねばなりません」
「明らかな偏向を持って書かれたものは滅びる運命にあります」

という部分を読み、今この本を読めてよかった、と思った。

窓の外は流れている。座ってじっとしているという意味では自分の家と変わりないのに、なぜ移動している時の方が本に没頭できるのか、いつも不思議に思う。
それはある意味、移動している最中が自分にとっての「自分ひとりの部屋」だからなのかもしれない。

自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)

自分ひとりの部屋 (平凡社ライブラリー)