季節のカード

近頃、日に日に日が短くなっていることを感じる。
秋冬は、食べ物がおいしいという点で楽しみな季節でもあるのに、日が短くなってくるともうそれだけで気持ちが焦る。冷たさの混じった空気に、ふといつかの文化祭や黄色いイチョウ並木を思い出し、今年ももう終わりだという気分になる。
この落ち着かなさは自分にとって毎年の恒例行事であり、来年になれば日が長くなっていくのを感じるとともに、気が大きくなっていること請け合いなのだけど、ならば焦る意味はないとわかってはいても、どこか急かされているような気分が続いてしまう。

こういう、季節に引きずられる「気分」をうまくコントロールする方法はないんだろうか。

日が短くなってくることの物悲しさはおそらく「暗い」「受験」「寒くて全てが面倒」みたいなカードを思い起こすからだと思う。
ならば、このイメージを払拭するようなカードを揃えることさえできれば、日が短くなってくることの物悲しさも打ち消せるのではないだろうか。
「鍋うまい」「ご飯が美味しい」「虫がでない」
どれも強力だが「寒くて全てが面倒」カードがなかなか倒せない。
「豚汁」「あったか〜いの飲み物」「家の中から見る雪」
なんて延々と「寒くて全てが面倒」に勝てるようなカードを想像していて、思いついたのが「床暖房」だ。

私は床暖房のある家に住んだこともなければ、今後床暖房を入れる予算もないので完全に想像でしかないのだけれど
「床暖房」
という概念には「寒くて全てが面倒」を打ち消すようなパワーを感じる。
そんなわけで、今年の秋は自分にとっては絵空事カード「床暖房」がどの程度秋の物悲しさに対抗できるのかを試していきたいと思います。

あと「受験」カードに「もうしなくていい」カードを使うと、むしろやる気が削がれる気がするので、これに対抗するより良いカードを見つけたいところです。具体的には何らかのテストをうけて良い結果を得るとかしたい。

ペットカメラを買った


ペットカメラを買った。
ずっと気になっていたものの、文鳥を飼い始めてからはずっと在宅時間のが多く、まだいらないか、なんて思っていたのだけれど、先日Amazonのギフト券をいただいたのをきっかけに思い切って買うことにした。

今のところ、買ってよかったと思っている。今どうしてるかな、と思ったときすぐ確認できるのがよい。それから、今まで知ることのなかった、出勤日(私の)の過ごし方について知れたのもよかった。

在宅日(私の)の文鳥は、だいたい午前中がとても活発、昼〜夕方にかけてはちょっと昼寝などして気が向いたら呼び、仕事を終える18時頃からまた活発になる、という感じだ。
なので、私が留守にしている間もそんな感じなのかなと思っていたのだけれど、
実際は、たまにご飯を食べに移動するだけで夕方までほぼ定位置でじっとしている。ペットカメラを設置してしばらく経つけれど、出勤日の行動はほぼ変わらない。カメラを拡大すれば羽繕いの様子などは確認できるが、位置はほぼ変わらず、一番奥まった安心エリアにいる(昼寝するときも大体ここだ)。

ほぼ動かずに9時間ほどすごしているのを見て、いくらなんでも運動不足では…? と心配になったけれど、よく考えたら私も9時間机に向かって仕事をしているので似たようなものなのかもしれない。
そして在宅時同様、18時頃からだんだんと活発になってくる。ストレッチをして、えさを食べ、扉をつついて出してくれアピールをはじめる。その様子を帰りの電車で見守るたび、私は寄り道せずまっすぐ家に帰ることを決意する。

そうして朝ぶりに再会した文鳥は私の首元に陣取り、羽繕いを始める。換羽期なので羽が舞い散り、私がくしゃみをすると怒って首元をつつく。

いまだに「ソイ」と呼んでもほぼ返事はしない。けれど「ポピポピ」と鳴き真似をすると、かなりの確実で「ポッポピ」と返してくれるようになった。


ところで先日でた、松本大洋さんの新刊「東京ヒゴロ」は表紙の通り、文鳥がメインキャラクターとして登場する大変嬉しい漫画だった。人語を解するところはファンタジーだけれど、その仕草はとても馴染みのあるもので、作者はきっと文鳥を飼っているんだろうなと思う。文鳥はかわいい。

小林賢太郎さんのこと

先日、外で昼食をとっていると、近くの席に座っていた大学生くらいの2人組が「出会いがない」と嘆くのが耳に入った。久しぶりの外食で、人の会話が聞こえてくることすら嬉しく、ついつい聞き耳を立ててしまう。
「授業もないし、イベントもないし」「バイトは?」「いない。バイト変えるしかないかぁ」
そう言って、今恋人がいたらしたいことをあれこれ話していた。
「浴衣着たい」「海かプール」「夏だけでもいいから止まんないかな〜」「去年も行ってないのに、海」

軽快な会話に、ほんとだよ、と心の中で相槌をうつ。
あんたは大学生活コロナじゃなかったでしょ、と言われるかもしれないけれど、誰にとっても今年の夏は1度きりだ。


そんな気分を引きずっているので、近頃はどうもテレビをつける気になれない。
開会式の日に、妹の引越し祝いで両親にも会ったのだけど、四六時中テレビ漬けな父はすぐさまテレビの前に陣取ったものの、他は皆、なんとなくテレビから目をそらすようにしていた。
それはおそらく、私と妹がラーメンズのファンだったことを知っているからというのもあったと思う。

この日記にも、かつては頻繁にラーメンズの公演感想を書いていたので(10年以上前の文章と直接つながっている場所があるというのは気恥ずかしいですが)話題になったラーメンズのコントについても、当時はまだファンではなかったものの、映像を見たことはあった。けれどすっかり忘れていて、
今回新たに見直してみて、確かにだめだ、と思った。
コントのストーリーとしては、ダメな人のダメな企画としてあげられ、却下されているというものなので、ついそこを考慮して欲しくもなるけれど、やはり「笑い事にした」というのは疑いようもないことだ。私を含む、日本人の多くがホロコーストに対して鈍感すぎた(今もなお)というのもあるだろう。反省する。
ただ、ニュースでなんの留保もなく「ホロコーストを揶揄したとして解任」と読まれることには抵抗がある。

私はラーメンズのファンだったとはいえ、小林賢太郎さんのプロデュース公演でのあるセリフに引っかかって以来、活動を追わなくなってしまっていた*1。そういう経験があるにせよ、それでも、
この後、方向性を変えていったことは知っているし、その名前をこのニュースで初めて知る人もいるということを悔しく思った。
それを言葉に出すこともためらわれる空気の中、母親がふと「解任は仕方ないけど、小林さんの謝罪文よかったよ」と言ったので、なんだか少し泣きそうになった。

私は、物語の登場人物の行動と、作者の思想はイコールで結びつけられるべきではないと考えている。
一方で、現実に傷つけられた人々がいる事柄については、扱い方に十分注意すべきだと思う。
そして、適切に注意できるかどうかは、作者自身の考えによるところが大きいだろうと予測する。
しかしその「考え」を誰が判断できるのだろう。
小林賢太郎さんの件だけではなく、最近はそんなことを考える機会が多い。

自分もほんの1クリックを億劫に思うことがあるけれど、わかりやすいものを求める気分には抗いたい。
今はまだ材料が足りないと思ったら判断を保留すべきだし、誰かの考えに乗るのではなく、自分で考えることに時間を使いたい。
かつてと同じようにあのコントのことを忘れてしまうこと、そして今回の顛末を忘れてしまうことはしたくないと思う。


小林賢太郎氏 謝罪コメント全文「浅はかに人の気を引こうとしていた」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
元ラーメンズ片桐仁も謝罪 五輪演出・小林賢太郎氏の元相方「若気の至りと言えない」/芸能/デイリースポーツ online

2021年7月のこと

梅雨があけた途端、そういえば夏ってこんな感じだったと目が覚めた。
7月初旬に「まあまだ涼しいし、日焼け防止の観点からも羽織りものがあった方が良いのでは?」みたいな気持ちで買った長袖のシャツが届いたものの、とてもじゃないけれど袖を通す気分にはなれず、なぜこの暑さを忘れていられたのだろうと不思議で仕方がない。
天気予報も「運動には向かない暑さです」と言っている。

それなのに頷く間も無くオリンピックのニュースをやりはじめるので、この辻褄の合わなさについて考えるところから毎朝が始まる。

街を歩けば、あちこちに2020と書かれた日に焼けた旗が目に入る。こんなオリンピックとは無縁の街にも旗が掲げられていることと、もともとさしてスポーツに興味のない私の生活までが、それに振り回されていると感じることの共通点について考える。
この旗をデザインした人、印刷した人、納品した人、掲示した人。
私を含めた多くが、きっとただ気兼ねなく家族と会い、友達とご飯を食べられる日常に戻りたいと自粛していたはずだ。

こういう時、自分の身の回りの、1日の生活のことだけに集中するというのは、気持ちを落ち着けるためには有効なことだし、自分も幾度となくそうしてやり過ごしてきたことがあったけれど、
ここのところ、若い頃の自分が見て見ぬ振りをしていたことに直面させられる出来事が続き、自分の考え方、感じ方についても、変わる部分と変わらない部分があることを自覚し、自分の態度を考えなくてはと、より強く思うようになった。

推しが日本ダービー勝ってくれたら死ぬ


近頃は自炊にも飽きてきており、毎日がトイレットペーパーの芯みたいに手応えがない。こういうとき、気分転換にちょっと外で飲むか〜、というのができないのも悲しい。人と会ってご飯を食べる機会が減った分、この1年は家でちょっといいビールを飲むことにはまっており、なので家飲みは日常と化し、気分転換にならないのだった。

そんな私の心の隙間に入り込んだのがウマ娘でした。「ウマ娘 プリティーダービー」です。

ウマ娘 プリティーダービー」とは、簡単に説明すると、実際の競走馬をもとに擬人化された(牡馬・牝馬どちらも「娘」に統一されている)キャラクターを育成するゲームです。プレイヤーはトレーナーという役割になっているため、一応育成と書きましたが、育成というのもおこがましい、横で応援させていただいている、という感じです。

最初は「話題だしちょっとやってみるか〜」という動機だったんですけど、やればやるほど、これにもあれにもそれにもちゃんと元ネタがあるということに感動し、気づけばウィキペディアを読みあさってしまう日々。これはウマ始めた人の通る道だと思うんだけど、そこにちゃんと求めるものがあるのが競走馬のウィキペディアの凄さ。読み応えのある記事が多い(ありがたい)。
最初にゴールドシップのシナリオやって、ウォッカをやって、そのライバル、ダイワスカーレットをやって、徐々に物語が立体的になっていくのを感じる。

そして「ウイニングチケット」です。
ダービーに憧れ「タービーウマ娘になりたい」と語るチケットを見て、私は「ウマ娘 プリティーダービー」でレース後にウマ娘たちがライブを行う理由を理解しました。
ダービーはつまり武道館。
多くのアイドル(≒ウマ娘)の目標であり、それが通過点になるか到達点になるかはわからないけれど、そこに立った(勝った)ということが歴史に残る場所。それこそが日本ダービーなんですね。その過程を近くで応援できるなんて、最高の役得じゃないですか…。ありがとうチケゾー、私と一緒にダービーを目指そう!!

そうしてチケゾーと1年のトレーニングを経て、いざダービーに出走、辛くも勝利をおさめた瞬間、沸き起こったのはまさかのチケゾーコール。これは主人公(トレーナー)とウマ娘だけの物語ではなかったんです。この世界にも、これまでチケゾーを信じて応援してきたファンがいたんだということを知り、ドセンでチケゾーおめでとうパネルを持ってむせびなくオタクの姿が見えた気がしました。
あまりに高まりすぎて、なんでチケゾーシナリオはダービーがラストじゃないんだろうとすら思いました。

(その後、やり込んでいくうちに全てのシナリオは同じ3年間のスケジュールで構成されているということ、3年目にダービーはないということを理解しました。というか「皐月賞日本ダービー菊花賞」の3冠は3歳時しか出れないってほんと特別なレースだし、それを分け合ったBNW尊い

そしてウィキペディアを読みました。
チケゾーコールや、チケットの「日本ダービーを獲ったウイニングチケットです!」というスピーチの元ネタ、チケゾーのシナリオのクライマックスがダービーにある理由。友人として描かれるBNWこと、ナリタタイシンビワハヤヒデとの関係。
現実じゃん、と思いました。
そして、この物語を、このゲームはこのようなシナリオに仕上げて見せてくれたのか、ということを理解し、制作者の愛を感じました。
これは競馬オタクによる、競馬のエモさのプレゼンであり、そのプレゼンはしっかり私の胸にも届いたのでした。

もちろんモデルとなった競走馬自身がどう感じているかなんてわかりません。
やる前は、物言わぬ対象を擬人化することにちょっと抵抗もあったんですが、
しかし、その後、BNW周りの記事や、オグリキャップについてのドキュメント本(「銀の夢」)を読んであちこちに元ネタを見つけていくうちに、このゲームは「競走馬」そのものを擬人化しているというより、「競走馬の物語」を擬人化したものに近いと感じるようになりました。先述のチケゾーコールのように、その競走馬だけでなく、周囲にいた人々の思いをうまくその物語に編み込んでいるイメージ。
メインストーリーで「ダービーをとれなかったトレーナー」として主人公に連絡してくる先代トレーナーのこのセリフの元ネタも、おそらくチケットによって悲願のダービージョッキーとなった、チケゾーコールの元ネタでもある柴田騎手の言葉でしょう。


(記事はチケットシナリオ攻略後にすぐ買ったNumber(ナンバー)978号より。今もチケットに会いに来るファンの話が出てきてここでも泣きます。長生きしてほしい。)

ゲームの中ではないことになってますが、自分にとっての競馬はこれまで「賭け事」というイメージでした。まあそれが正しいと思います。
けれど同時に、最後の有馬でオグリキャップ単勝を買った人の思いは「賭け事」だけではないことも今ならわかる。
なので今は私も「デビュー時から応援してたんだ~」といえるような馬をみつけてみたいなと思ったりしています。
なんかもうすでに複勝ではなく単勝を買い続けることでネイチャへの愛を示した経験がある気がしちゃうもんね。そんなファンの思いがあのトロフィーに込められてるわけでしょ?? ファン心理を理解しすぎていて泣きどころが多い。

ゲームとしては、サポートカードを強くしないと強くできないのはわかってるんですが個人的にはとにかく新規シナリオ(育成ウマ娘)を読みたいので、悩ましいところです。

この本もめちゃくちゃ良かった。
オグリキャップとそのライバルたち、そしてその周囲の人々への膨大なインタビューによって、構成されており、みんな応援したくなる。そして、最後には冒頭の有馬記念の場面を読み返してしまう本でした。