2021年7月のこと

梅雨があけた途端、そういえば夏ってこんな感じだったと目が覚めた。
7月初旬に「まあまだ涼しいし、日焼け防止の観点からも羽織りものがあった方が良いのでは?」みたいな気持ちで買った長袖のシャツが届いたものの、とてもじゃないけれど袖を通す気分にはなれず、なぜこの暑さを忘れていられたのだろうと不思議で仕方がない。
天気予報も「運動には向かない暑さです」と言っている。

それなのに頷く間も無くオリンピックのニュースをやりはじめるので、この辻褄の合わなさについて考えるところから毎朝が始まる。

街を歩けば、あちこちに2020と書かれた日に焼けた旗が目に入る。こんなオリンピックとは無縁の街にも旗が掲げられていることと、もともとさしてスポーツに興味のない私の生活までが、それに振り回されていると感じることの共通点について考える。
この旗をデザインした人、印刷した人、納品した人、掲示した人。
私を含めた多くが、きっとただ気兼ねなく家族と会い、友達とご飯を食べられる日常に戻りたいと自粛していたはずだ。

こういう時、自分の身の回りの、1日の生活のことだけに集中するというのは、気持ちを落ち着けるためには有効なことだし、自分も幾度となくそうしてやり過ごしてきたことがあったけれど、
ここのところ、若い頃の自分が見て見ぬ振りをしていたことに直面させられる出来事が続き、自分の考え方、感じ方についても、変わる部分と変わらない部分があることを自覚し、自分の態度を考えなくてはと、より強く思うようになった。