12月4日/ロイヤルホストと信仰

昨晩帰宅が遅く文鳥に不義理をしたので頑張って起きる。
朝一番にケージを開くとき、胸の前に指を出しておくと、待ってましたという感じで飛び込んできてくれるのが毎朝嬉しい。
放鳥しながら朝食。最近の朝食は小さいパン(セブンイレブンで売っている3〜4個入りのパン)とヨーグルト(4つ連結してるようなやつ)で落ち着いている。
明らかに少ないけど、起きて2時間くらい経たないと食欲がわかなくて、この1/4セットがちょうどいいのだ。


今日は書店主催のオンライン読書会に参加するので、11時を過ぎたところで、ロイヤルホストに昼ごはんがてら本を読み返しに行く。
数年前からロイヤルホストにくると5回に4回はアンガスサーロインステーキサラダ(大好き)を食べているのだけど、今日は先日見た番組で気になったシーフードドリアを注文してみる。
初めて食べるシーフードドリアは、ハレの日感がある美しく率直なドリアでたしかにおいしかった。
ただ、私はもうロイヤルホストに来るとアンガスサーロインステーキサラダの口になってしまうらしく、どこか物足りなさも残ってしまったので、次は素直にアンガスサーロインステーキサラダを食べようと思います。
食後、ドリンクバーとともに村田沙耶香「信仰」を読みなおす。


読書会は作者も招いてのイベントとのことだったので、どちらかというと作者の話を聞くような気分で申し込んだのだけれど、「読書会」と銘打っているだけあってどちらかというと参加者のトークが中心の会だった。年齢層も幅広く、発言も活発で興味深かった。
主催者も100人近い参加者をさばいていくのは大変だっただろう。

ただ、オンライン上で、しかも初対面の人ばかりの中で語るには「信仰」というテーマ(短編のタイトルでもあるがそのまま「信仰」についての話なので)は少し扱うのが難しいテーマだったのかもしれない、と感じた。

自分にとって「信仰」とは、と考えたとき、まず浮かぶのは寄る辺のないときの支えである。
最近でいえば手術を受ける前日には思わず祈るような気持ちになったし、短編の主人公が「私を洗脳して」と発言するのも濁流の中ですがるものを持ちたいということなのではないかと考えていた(同時にそれは思考停止したいということの裏返しにもなっていそうなところが作者ならではの味だと思うのだけど)。
そして「信仰」とは自分を律するための視線・行動規範でもある。

特に信仰する宗教を持っていなくても、そういう感覚は広くあるものなのだと思っていた。
しかし実際は人によってかなり、自分の想像以上に、差があるものなのだろう。

読書会後、なんとも言えない気分を抱えたまま夕食作りにとりかかる。
この気分を何かわかりやすい言葉でまとめてしまえば気が楽になると思ったけれど、それをしてはいけないやつだなと思いながら、切り干し大根の煮物と、春菊の胡麻和えとポトフを作った。

長時間モニター前に座っていたので腰が痛くなってしまい、フィットボクシングで体を動かす。はやく椅子が届いて欲しい。
汗をかいたところで風呂に入って鎌倉殿待機。

今年は鎌倉殿と並走した1年だったので、あと数回で終わってしまうのがとても寂しい。

11月26日/実家でゲーム

土曜日なのでいつもより1時間遅く起きて放鳥。二度寝欲をこらえつつ家事を片付ける。
妹の誕生日祝いをかねた集まりがあったので、昼前に家を出て実家へと向かう。
実家に行く際、最近は立川経由で南武線に乗るようにしているのだけれど(いくつか行き方がある)、
始発駅で黄色の車体、なおかつ休日にしか乗らないせいか、私の中の南武線はいつもゆったり明るいイメージで、乗るのが少し嬉しい。

実家は最寄り駅から徒歩20分程度かかる場所にある。バスもあるが迂回路で駅に向かうため、よほど道が空いていない限りは歩くのとさして時間は変わらない。なので大抵は歩くことにしている。
実家に暮らしていた頃は「駅からかなり遠い」というイメージだったのだけれど、スマホ歩数計で見るとよく行く少し遠目のスーパーと変わらない距離だった。
店もなにもない道だから遠く感じていたのかもしれない。
地元エリアに入れば、歩いている人はほとんど見かけないのでマスクを外して歩く。落ち葉の匂いが気持ち良くて深呼吸をする。

妹夫婦と、弟と父母で食卓を囲む。
実家の集まりがあると、とにかく次々とエンドレスに食べものを勧められるのですごい。
食卓はすでにてんこ盛りであるのに、母はおかずを取り皿にとるよう促し続け、あいた大皿にまた惣菜を盛る。
とにかく皿にだし、皿にだしたのだからさらえという感じである。「もういいや」というとすぐさまデザートのターンだ。妹が持ってきたシュトーレンも丸ごとスライスされ、ようじの刺さったようかん状態ででてきた。
「ちょっと休憩とかしないの」と笑いつつ、珍しい食べ物が出てくれば味見をしてみようかなとなるので終わらない。

満腹なまま、どうにか机を片付け、皆でカードゲームをする。
最近実家でよくやるのはitoというゲームで、例えば「人気のある和食」などのお題を設定し、100の人気〜1の不人気まで「予約の取れない高級料亭の出汁巻
卵」とか「炊飯器で30時間保温された米」なんてワードをいいつつ数字の書かれたカードをふせた状態で並べていき、最後にそれがちゃんと並んでいるかをみるゲームだ。
食関係はかなり良い結果だったが、無人島に持っていくものの回で私が「50」においた「割り箸30本」は割り箸を過大評価しすぎだということでかなり紛糾した。
今思うと確かに割り箸はせいぜい15くらいかもしれない。


楽しかったはずなのに、帰り道にはうっすらとした凹みがある。
なんでだろうなと脳内に目を凝らしつつ、おそらくこれは、最近、時間は不可逆なのだということをよく考えるようになったからなのかもしれないなと思う。

夜になってもお腹が空かなくて晩ごはんはみかんだけ食べた。


オモコロチャンネルにもitoのプレイ動画があった
【ito】感覚!数値化!共感!ボドゲ!! - YouTube

ブラックフライデーの買い物

在宅勤務が始まった頃から、ちょっといい椅子が欲しいなと思っていた。
なのに在宅勤務なんていつ終わるかわからないし…と先送りにし続け、ついに3年が経とうとしている今になって、ようやく買う決心をした。
きっかけは舞台配信を見ていて腰が痛くなったことなのだけど、そのように仕事をしていなくたってPCの前には座るのだから、多少お金をかけたって十分見返りのある買い物だろう。

そう勢いづいたところでブラックフライデーがやってきた。ブラックフライデーのことはよく知らないけれど、

  • 欲しいと思っていた椅子のメーカーのショップが楽天にあり
  • ブラックフライデーにあわせた楽天のセールでは買いまわりポイントアップをやっていた

ので、めずらしく念入りに買いまわりを行い、途中ネタ切れしたので友だちにもアドバイスをもらいつつ、1割引くらいのポイントに育ったところでついに念願のvertebra03を注文した。

発送は12月の半ばになるそうで、今から届くのが楽しみだ。

昨日は買いまわり品から本が届き、今朝は洗面所で使うつもりの収納用品が届いた。
購入したものがぱらぱらと届き、その果てに本命があるというのは、アドベントカレンダーのようで楽しい。
明日はナッツが届きます。


それからAmazonの方のブラックフライデーでEcho Show5も買いました。
安さにつられた衝動買いだけど、Alexaに話しかける系のデバイスを買うこと自体が初めてなので、今は「Alexa、明日の天気はどうですか」みたいな定番の質問をするだけで楽しい。

Siriに話しかけるのには早々に飽きたのに何が違うんだろう? 音声認識の精度かな。今のところほとんど聞き間違いがないのでストレスがなく、回答があると反射的に「ありがとう」と言いたくなる雰囲気がある。
ありがとう、といっても反応しないので、「Alexaありがとう」と言いなおす時には機械を感じるし、すきあらばUnlimitedを勧めてくるところにはAmazonを感じる。それでも、思ったよりAlexaの延長線上に「キャラクター」を想像できるのが面白い。
ちなみに文鳥はAlexaの声には無反応です。

「Alexa ルポールの曲かけて」と言ったらかけてくれた

11月18日/パフェとTwitter


有休をとったので、いつもより1時間遅く起きてミロを飲みながら放鳥。
予約をしたパフェに間に合うよう支度をして家を出る。
向かったのは西荻窪金木犀茶店というお店で、前回は入院中に予約し退院直後に来たのだった。その時は偶然友達も同じ時間に予約していて久しぶりに会えたのも嬉しかった。
あの日もそれなりに元気にはなってはいたけれど、今はもう手術部位の動かしづらさもほぼなくなっていて人体というものの頼り甲斐を感じる。

金木犀茶店のパフェは、いつもどこかに初めての味があって楽しい。素材を引き出す程度の甘みなのも、甘いものがそれほど得意ではない(量が食べられない)自分には嬉しい。
お店ではいつも90年代のクリエイションレーベルっぽい雰囲気のギターポップがかかっている。店主の方の好みなのかなと思っていたのだけど、食べながらふと英語がとても聞き取りやすいことに気づく。
ということはもしかしてこれアジアのバンドなのかも…と歌詞で検索してみたところ、中国のバンドだということがわかった。検索してみつけたyoutubeをブックマークしてお店を出る。

パフェの後、ひと月ぶりの病院へと向かう。
先月からしつこい肩こりに悩んでいて、最初は季節の変わり目だからとやり過ごしていたのだけれど、次第に焦燥感のようなものも出てきて、もしかして今の薬の副作用なのかもと思い至った。そこで、今飲んでる薬と合わせて飲まれることが多いという漢方を買ってみたところ、これがてきめんに効いた。ので、約2週間ほど飲み続けていた。
本来追加で薬を飲んだりするときは主治医に報告すべきなのだけれど、漢方に対してはそれほど積極的ではなさそうな雰囲気を勝手に感じていたため、ついにこの日まで連絡できずにいた。
なので少し気が重かったが、症状と漢方が効いた旨を説明するとあっさり「ではそれをだしましょう」と言ってくれたのでほっとする。
次は3か月後なので3か月分の薬をもらったのだが、受け取ったら漢方は箱ごとで笑ってしまった。写真をとって友達に見てもらう。

買収のニュース以降、Twitter関連の不穏なニュースが続いているけれど、この日は朝から「ついに近々機能停止に陥るのではないか」というような話題でもちきりになっていた。
せっかく買ったのだから完全になくなるというようなことは(少なくとも当分は)ないだろうけれど、何らかの障害が起きた際に対応する体制が整っていないという状況ではあるのだろうな、と思う。

コロナ禍におけるTwitterは、正直あまり居心地の良い場所ではなくなりつつあったような気がする。ただ、いざなくなるかも、と想像してみるとそれはそれでさびしい。
いろんな使い方があるとは思うけれど、私にとってのTwitterは「いろんな人が今日何をして、何を考えていたのか」というのを知れる場所であり、それはかつてはてなアンテナだった。
アンテナのスピードに戻るのも悪くないような気はするけれど、あの頃のように、毎日大量の日記が更新される時代はもう来ないような気もする。

夕方、金木犀茶店で知ったバンドorange oceanについてツイートする。
あの人に聞いてみて欲しいな、と思っていた方がいいねをしてくれていて、こういう嬉しさもTwitterのありがたみだなと思ったりした。

youtu.be

11月13日/夢見の悪い日と因縁の店、すずめの戸締り、バス

夢見が悪かったせいでつい二度寝をしてしまい、飛び起きたのは8時近く、「ごめんごめん」と声をかけるとおやすみカバーの向こうから「ピッ」と抗議の声が上がった。
早速ミロ(「オトナの甘さ」というやつを最近朝飲んでいる)を飲みながらの放鳥タイムに入るが、まだなんとなくだるくて、ケージの餌や水を取り替えたところで帰宅してもらい、もう一度布団に潜る。
原因はわかっている。「病院で悪い報告を受ける」という夢をみたのだ。夢なのに、夢の中で凹んだ気持ちだけが残っている。退院してすでに3か月ほど経つがこういう夢を見たのは今朝が初めてで、きっと脳が整理を始めたということなのだろうな、と理解することはできるのに。
夢のことを頭から追い出すために、みくのしんさんのメロス記事*1をきっかけに最近見まくっているオモコロチャンネルの動画を、布団に潜ったまま1本見る。声を出して笑ってスッキリして、もう一度活動を開始する。


今日は外でランチを食べてから15時頃の映画を見るつもりなので、13時頃に出ればいいか、と算段をつけ、お茶を入れてベランダに出る。
チェンソーマン」4話アキ君朝のルーティン回をみてからたまに、ベランダで本を読んでいる。狭いベランダで踏み台に腰掛けているだけなのではたから見たら不審者に近いが、少しでも日光を浴びることでセロトニンを補えれば御の字だ。


外が生ぬるくなってきたので、念の為、傘を持って外出する。
今日行こうと思っている店「R」には、ちょっとした、私だけの因縁がある。
まず一つは、はてなダイアリー時代からずっと(一方的に)日記を読んでいる方の行きつけのお店で、越してきてすぐに行こうとしたのだけど、コロナ禍ということもあり、なかなか営業しているタイミングに出くわせずにいたということ。
もう一つが、コロナ禍に入って母が高校時代の同級生とバンドを始めたことだ。
その同級生が私の住む街に住んでいるということで(母の地元が近いのだ)ちょくちょく家に立ち寄ってくれるようになった。聞けば、同級生は喫茶店をやっており、そこで練習しているのだという。
「良い店だから行ってみてよ」
そこで教えてもらった店の名前が、まさに「R」だったのだ。そして幾度かの営業休止を経て先週、営業再開のお知らせが母より入ったため、今度こそと訪れたのである。

念願のRは母から聞いていた通り、居心地の良いお店で、あの人のダイアリーで読んでいた通り、生姜焼き定食とコーヒーが美味しかった。
帰り際に母がいつもお世話になっていますと挨拶すると「いつも楽しく練習してます」とにこやかに挨拶され、楽しそうでいいなあ! という気持ちで店を後にした。ダイアリーのあの人が引っ越してしまってもうこの街にいないことは知っている。母の同級生はそれを知っているのか、聞いてみたいような気もしたけれど、はてなIDしか知らない方なので、尋ねる術はないのだった。


ちょうどよくお腹がいっぱいになって良い気持ちのまま、書店に寄ってから映画館へと向かう。
今日見るのは「すずめの戸締り」だ。
たぶんこういう話なんだろう、とある程度覚悟して行ったのだけれど、思っていた扱い方とは少し違っていた。どちらかというと良い方向に期待が裏切られた感じだった。起こったことはかわらない。その設定に「現実」をどうこうする力はないのだ。ただ、あくまでも主人公が旅を通して、あのセリフ*2を言える場所にたどり着いたという点に労りを感じた。
何よりも、まず主人公が高校生になっている、ということが個人的にはいちばんぐっとくるポイントだった。


余韻に浸りながら駅に向かったところ、事故で電車が止まっていた。
再開まで1時間程度かかるとのことだったので、バスに乗ることにする。私がバス停についたときは3人程度しか並んでいなかったが、おそらく同じ理由で人が集まったのだろう、出発する頃には車内は満員だった。
鎌倉殿までに晩御飯を済ませたいけれど…なんて考えながら乗っていると、背後でガクンと揺れる気配がした。
振り返ると具合が悪そうな人がいて、慌てて席をゆずる。横にいた人が運転手さんに「具合が悪い人がいます」と声を掛ける。空気がこもっているからと窓をあける人、水を飲ませる(その人が持っていた水だ)人、運転手さんは気を利かせて降車ドアをあけてくれるが、次で降りる予定だから、と意識のはっきりしてきたその人が言い、みな口々に「あともう少しですからね」と声をかける。
なんとなく団結したような車内で、こんな風に、見ず知らずの人たちと言葉をかわしたのはコロナ禍になってはじめてかもしれないな、と思った。

その人が下車し、走り出した車内で「ちゃんと歩いてる、よかった」と誰かが言った。
終点の駅前で乗り合わせた人たちが散り散りになった後も、その「よかった」が湯気のようにあたりを漂っているような気がした。


*1:https://omocoro.jp/bros/kiji/366606/

*2:「行ってきます」