作品が売れるということについて思うこと

久しぶりにテレビを見た。「ガイアの夜明け」っていうテレ東の番組。
【今 本を売りにゆきます 〜純愛に泣くY世代を狙え〜】
ってタイトルはどうなんだろうと思いながらなんとなく見る。
内容を簡単にまとめると、デジタル化された生活のなかで育ったY世代は、PCや携帯で活字に慣れている為に、本を読む素地はある。ただ彼等は何を読めば良いのかわからないだけなのだ、という事に気付いた出版界ではマーケティングやプロモーションの力を発揮することでベストセラーが生まれている。という感じ。
内容としてはディープラブとかセカチューとか、かなり今さらでうんざりだったけど、まずジェネレーションYにうける作品=純愛ってのがいまいち納得いかなかった。

ゲーム世代で本などは読まないと思われてきた若いY世代が中心となり、純愛ブームという社会現象が生まれ「いま、会いにゆきます」も100万部を売り上げた。
http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/index.htmlより引用

って、純愛ブームって冬ソナもじゃないの? 若い世代限定なの? テレビに映ってたのは女子高生ばっかりっぽかったけど・・・。ゲーム世代とかいいつつライトノベルとかはスルー? 
個人的に言えば、本が売れるようになるのはとても嬉しい。それで出版界が少しでもうるおって、採算とれないような本でも出してくれる余裕がでてくればさらにすてき。
でも、発売してすぐにブックオフとかに大量に積まれるような、まさに「消費」される本ばかりがつくられるのはちょっと悲しい。
レコード屋で働いてた頃に、その辺は何度も葛藤を感じたところだった。
すごく売れるCDでも、中古が過剰在庫になる=どんどん買い取りも売り値も値下がりするってタイプと、中古はたまにしか入ってこなくて、中古と比例して新品も売れ続けるっていう2パターンに分かれる。前者はあえてあげないけど、後者の例をあげれば、まあビートルズとかニルヴァーナとかは圧倒的で、日本人でいうとくるりとかハイスタとかフィッシュマンズとかだった。*1
私は、本でもレコードでも中古屋を活用しているし、ある程度聴いて、売って、新しいの買ってってのは良いと思うし大歓迎だ。でもやっぱり仮にも音楽好きな身としては、買って数週間で在庫過剰になるような「商品」を見ると、ちょっと悲しくなったりする。
確かに、本を売る為の作業として、営業力が今まで軽視されてたところはある。でも番組内でも言っていた、「新人作家が育たない」というのは、良い新人作家がいないからではなくて(番組内では発掘するのが大事、という感じだった)作家自体が消費されつつあるものだからだと思う。そしてそれはとても悲しいことだ。そういう意味では番組後半で紹介されていた出版エージェント*2という仕事にはとても可能性を感じる。
しかしここで気をつけなければいけないのは、実用書などの分野にはマーケティングの力がかなり必要だと思うけれど、文芸書のジャンルにおいて、マーケティングをしたうえで書かれた「売るため」の本というのはもはや「作品」ではなく「商品」なのではないかということ。もちろん著書が売れるにこしたことはないけれど、売れる為に書くのとたくさんの人に読んで欲しいから売れたいというのでは全く違う。この辺りで書く側、作家の側に、強い意志の力が必要になってくるのだと私は思う。
昔なんかのインタビューで、浜崎あゆみが「私は消費されてもかまわない」と言っているのを見て、浜崎あゆみにはぜんぜん興味の無い私もその潔い言葉に、ちょっとかっこいい、と思ったりした。
けど、できることなら自分の好きな作家には何を言われようが書き続けて、消費という壁を越えて欲しいと思う。たとえベストセラーにならなくたって、固定ファンがいて、採算がとれるなら、出版社もその作家を見捨てないで欲しいと思う。

*1:私が働いてたのは3年前までなので、ちょっと今とはずれるかもしれないけど

*2:著者を出版社に売り込むマネージャー的存在。翻訳モノでは一般的な存在