図書館の水脈/竹内真

村上春樹好きならぜひ」と、友人におすすめされて読んだ。「トリビュート村上春樹」シリーズの中の一作。竹内真さんの作品を読むのはこれがはじめてです。
同シリーズで出版された古川日出男さんの「二〇〇二年のスロウ・ボート」*1の時にはあまりトリビュートであることを意識しないで読んだのだけど、この作品は、その企画を聞いたときに思い浮かべるイメージに近い感触の物語だった。

村上春樹海辺のカフカ』に導かれて旅にでた主人公たちは、旅先の四国で思わぬ偶然に巡りあう。本が人生を変える……。すべての本への感謝を込めて書かれた、本好きのための物語。(帯より)

物語は、作者の分身と思われる小説家の一人称で語られる場面と、ワタルとナズナというカップルのやりとりが三人称で語られる場面とが交互に描かれることで進んでいく。その二つの視点は、やがて重なるのだけれど、そこに至るまでの道のりが、私にはどうも説明的に過ぎるように感じられてしまった。まるで、実際にそのとおりであったことを、説明されているような気持ちになる。
例えば、この物語には、様々な本が登場するのだけど、それらの本を登場させる必然性は正直あまり感じられない。その本の説明はされるのだけど、登場人物たちがそれを読み、何を考えたのかがあまり伝わってこない。ワタルとナズナの章はともかく、一人称である小説家のパートにそのような部分が多いように感じられて、特に重要な鍵となるはずの物語、小説家である主人公が「作家になるきっかけとなる本だった」と語るそれについても、その内容は解説されても、主人公がそれを読んでどう感じたのかがよくわからない。
『オアシス』という本もまたキーワードになるのだけど(竹内真さんの作品にも同じタイトルのものがあるので、それ、なのだろう)、その作品を「作家となるきっかけとなる本」を書いた人に読ませるという場面でも、それがどのようにして書かれた話なのかは語られず、相手がそれをどう読んだのかもよくわからないままだ。たぶん、この小説家に、作者本人が重ねられていなかったなら、そこでそれは語られたのだろうと思うし、もっといえば、ここで手渡される物語は、たまたま図書館にあったそれだとしても、「作家になるきっかけとなる本」へ向けて書かれたものであった方が物語としては山場になっただろうと思うのに、そうしなかったのは「現実」に引っ張られているからなのではないか、と思った。考え過ぎかな。
物語の中に小説がモチーフとして使われるのであれば、欲しいのはあらすじではなくて、それを読んだ人がどのように感じたか、という部分だと思うんだけどな。と、そのあたりに物足りなさを感じる作品でした。

読み終えた後で思ったのは、村上春樹が好きな初対面の人と、ひとしきり話をしたような気分だな、ということだった。好きだ、ということは伝わってくるし、そのつながりの不思議さ、かけがえのなさにも触れられるようには思う。そしてたぶんそれを地下水脈にたとえているのだろうなとも思う。でもそれなら、そこを目指して走る物語が読みたかった。
そして純粋にトリビュートとして描かれるのであれば、徳富蘆花村上春樹についてほぼ同じ分量を割かれているように思われるのも不思議だし、井戸のくだりでノルウェイについては挙げられていないとこや、図書館に泊まる、ということが「海辺のカフカ」とつながっているということも文字にはされていないという点、甲村図書館を意識してのことだと思うのだけど、小説家の名前が「甲町」であるということに指摘がない点、etc、消化不良に感じた。うーん。
でも、トリビュートだけ読んであれこれいうのもなんかなと思うので、同じくおすすめされた『カレーライフ』という作品も読んでみようかな、と思う。

*1:感想→id:ichinics:20060324:p1