「目まいのする散歩」/武田泰淳

ISBN:4122005345
武田泰淳氏を知ったのは、私の敬愛する武田百合子さんの旦那さんであるというところからだったのだけど、それとは別に、以前の勤め先で、私がいろいろなことを教わった読書家の先輩が木山捷平内田百けん、そして武田泰淳の小説を愛読していた、ということもとても大きな切欠になっている。武田泰淳さんの小説で最初に読んだのが「十三妹」だったというのは前にも書いたことがあるけれど、泰淳さんは私にとっては、とにかく下準備としてまず中国文学(必ずしも文学の範疇に入るものだけではないけれど)について学んでから読みたいなぁなどと思っているうちに、なかなか手をつけずにいる作品の多い作家さんなのです。
そんな泰淳さんの作品のなかで、たぶん最もとっつきやすく手に入りやすい作品がこの「目まいのする散歩」なのではないかと思う。先ほどの先輩に「百合子さんが好きなら」と勧められて読んだのはもう4年近く前のことで、今回読んだのは2回目。
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この本は八つの散歩の風景からなる作品集で、それぞれが具体的に「いつ」の出来事なのかは解らないが、現在(この文章を書いている時間という意味)から過去へと遡り、再び時間が進んでいく、という印象を受けるし、実際そういふうに並んでいるのだろう。冒頭の2編では、ほとんど泰淳さんのリハビリのような目的で散歩が行われる。百合子さんと二人で、公園のベンチに腰掛けている様が目にうかぶようだ。
そこから先は、泰淳さんと百合子さんの若かりしころが伺える文章が続く。中でも、酒場に努めていた百合子さんと泰淳さんが恋人同士であった頃の文章は、とても印象に残っていて、「鬼姫」に例えられる百合子さんの姿は泰淳氏の視線を通していきいきとしている。
最後の2編はロシアへの旅の様子を描いたものだ。このあたりは百合子さんの「犬が星見た」と合わせて読むと面白い。
全編を通して受ける印象は、泰淳氏は妻である百合子さんをとてもよく観察しているということ。とにかく百合子さんが「もてる」場面がとても多い。好奇心が旺盛で、泰淳氏よりもたくましいところのある(ように思える)女性である百合子さんを、泰淳氏はまぶしいものを見るかのように描写する。そして、この文章は泰淳氏が口述し百合子さんが筆記するという形で書かれたものであるという点からも、この作品は二人の目を通して、見えたものの記録のようにも感じられる。

たとえば「あたしも今に死ぬのね。イヤだなあ。いつ死ぬのかしら」と。死にそうにもない顔つきで女房に問いかけられるさいは、笑ったような笑わないような表情で「ウフフ」と答えるのが、目下のところ一番無難である。(p38)

なんて文章を読むと、なんて素敵な夫婦なのだろう、と思わずにはいられない。