鼓膜の向こうと、こちら側

朝早くから、妹と出かける。父からもらった展覧会のチケットがあったので、それを見にいって、うむ、すごいね、しかし混雑しているね、日曜日だからね、なんてことを言い合いながら、近くの神社でおみくじ引いたりして、いい天気だった。
朝から耳の調子が悪くて、鼓膜が、凹んでるなぁなんて思いながら、ぼんやりしていると、すぐに「どうしたの」と訊かれるので、適当に思い出した話とかして、例えば小学生のとき、バレンタインにさ、みんなで好きな子にチョコあげることになってさ、とか、昔火事になったお寺の、入ってすぐのとこにあったお地蔵さんぜんぶに名前つけてた話とか、みんなで旅行いったときに、妹がパスポートなくして見つかったとき、あれ、なくしたってちゃんといってくれてよかったよねとか、そういうこと、しゃべりながら、しゃべる自分の声があまりにも近くて、鼓膜の向こうとこっちが全然別の世界みたいな気持ちになって、すこし焦る。それは自分の声というより、耳の奥に、何かがいるような気分で、言葉はすらすらと流れるのに、わたしは耳の奥のことばかり、考えていて、そしてふと、こんなふうに、自分の中にあるのに、自分の手でもとに戻せないこともあるのだということを、思いながら、じっと手を見る。
指が曲がってるんだよねと、思う。両手の中指が、そっぽを向いている。見れば妹の指も同じような形をしていて、なるほどねぇ、なんて思いながら、そういえば、いつかもそんな話したよなあって、少し笑う。どうしたの? と訊かれたので、耳が変なんだよね、と言うと、もうそれは聞こえるようになっていた。