未来はだいじょうぶ

つい最近まで夏にしがみついていたような気がするのに、いつのまにか夕焼けを見ることも少なくなり、朝は布団から出るより前にエアコンのスイッチに手が伸びてしまうようになった。
先走ってホットカーペットを買ってはみたものの、ほとんど床に座ることのない生活をしている私にはあまり意味がない、ということに冬がやってきてから気づき、ただのカーペットとしてそれは部屋の真ん中を陣取っている。そして私は家にいる時間のほとんどを(今まさにそうしているみたいに)机に向かって過ごし、この寒さをどうやって乗り切ればいいのかななどと考えていたりする。

もうずっと頭がからっぽだなということをからっぽの頭で考えているけれど、たまに浮かぶことといえば、この前みた映画の中の人たちのように、自分が楽しいと感じることを信じていたいということだったりして、
その反面、自分の気持ちというものはどの程度信頼のおけるものなのかがさっぱりわからずに、相反する考えは互いを打ち消して頭はどんどんからっぽになるみたいだ。

真実は未来にはなくて、過去と今にしかない、というような台詞をここ半月くらいで何度か目にしたような気がする。残念ながら何の台詞だったかは忘れてしまったんだけど、
例えばずっと昔、井の頭線のどこかの駅に向かう間に雪が降ってきて、家に帰るのはやめて駅前の焼肉やさんに入ったことなどをふと思い出し、なんとなく面映いような気分がよみがえってくるのは不思議だけど確かなので、
いまのこのからっぽもいつかは、確かなことになるのかもしれない。