BGM

TwitterInstagramで「私を構成する9枚」というタグが流行っていて、最初は難しそうだなと思っていたのに、仕事からの帰り道、電車内でいくつかのアルバムジャケットを思い浮かべてみると、意外にあっさりと9枚を選ぶことができた。

構成する、ってちょっと大げさな気もするけれど、その言葉で思い浮かべたのは、単純に好きなアルバムというよりは、ある一時期に、とにかく聞き込んだアルバムのことだった。
それを聞き込んだのはもちろん特別に好きだったり、自分がそのジャンルを聞き始めるきっかけになったりしたからなのだけど、中にはその当時考えていたり、悩んでいたりしたことに、しっくりきたアルバムというのもあって、そういうアルバムのほとんどは、今では聴き返すことが少しこわい。当時のことを思い出しそうで。

今思うと、自分はたぶん、その音楽を使っていたんだろうなと思う。
気分に合わせて音楽を選ぶのは、たぶんその状況を物語にするのに似ていて、つまり自分は考え事や悩み事にとらわれている自分を客観的にみるために、そのアルバムを聞いていたような気がする。
使う、というと何となく失礼のように感じるのだけれど、実際にそのアルバムに助けられたという気持ちはあって、だからやっぱりそれは自分を構成した一部、と言っても差し支えないんじゃないだろうか。

高校生の頃、学校を早引けした帰り道、人気のない電車内でひたすらウォークマンで気分にあう曲を探していたときのことを思い出す。
楽しい曲、幸せな曲、明るいけど切ない曲、ひたすら悲しい曲、怒ってるみたいな曲、気持ちの良い曲。
そんな風に音楽を感情で分類して、そのときの気持ちを探すのに私は音楽を使っていた。

今ではアルバムごとに音楽を聴くより、iPhoneでシャッフルしていることの方が多いけれど、それでも町を歩いているときに、ふと気持ちにぴたりとはまる曲が見つかることもあって、
あの頃、自分を助けてくれたアルバムたちにもいつか、そうやって再会できたらいいなと思った。


見返すとあれもこれも入れ忘れた足りないと思うんだけど、でもまあ今振り返る高校から20代半ばまでの自分はこんな感じだったと思う。
真ん中のアルバムはその頃から自分の葬式でかけて欲しいと言い続けてる「D'yer Mak'er」が入ってるやつです。