東京奇譚集/村上春樹

東京奇譚集

東京奇譚集

今年の3月から6月にかけて「新潮」誌に掲載された4つの短編に、書き下ろしを一編加えた、村上春樹さんの最新小説集。新しい作品という意味でいえば、「アフターダーク」以来となります。
私は長いこと、ほんとうに村上春樹さんの小説が好きで、殆どの作品を何度も読み返してきました。そしてずっと、春樹さんの文章は「体中にしっくりと馴染んでいるような」気がしていました。初めて春樹さんの小説を読んだのは小学生の頃ですから、ほんとうに長い間春樹さんの小説と付きあってきたんだなぁと、この頃では新刊が出るたびにしみじみしてしまいます。
ただ、「海辺のカフカ」以降の作品には(つまりカフカアフターダークの2作品に関しては)文体の変化もあったせいか、少しばかり違和感のようなものを感じるようになっていました。もちろん、両方の作品ともに好きな作品ではあったんですが、なんというか、私にとっての、一番大きな違いは「僕」(もしくは僕的な存在)の不在だったんだろうなと思います。もちろん、これは個人的な思い入れに過ぎないことですし、そもそも春樹さんの小説に関しては思入れずに話すのが難しいので、実はあんまり友達とかにも(春樹さんの小説が好きだということを)話したことはなかったりします。
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ところが、この「東京奇譚集」を読みはじめて、まず感じたのは、久しぶりに「村上春樹」的な文章だな、ということでした。それが何か、といっても、言葉のリズムとか、些細な描写とか、そういうことに尽きてしまうのですけど、とにかく1ページめから「しっくり」きている感じが嬉しくて、紙が分厚いのでどんどん読み進んでしまうのがもったいないと思いつつも、寸暇を押しんでページを開いてしまうような、そんな空気に満ちた本だったと思います。とりあえず私にとっては。
《以下内容に触れています》

偶然の旅人

冒頭から作者自身が登場することに少々面喰らうのだけど、のっけから、具体的にいうと第2段落の締めの言葉など、に村上春樹さんならではのリズムを感じて嬉しくなる。こういう回想のような形ではじまる短編というと「レキシントンの幽霊」を思いだすし、文章の中で扱われている「ジャズの神様の話」などについてはポール・オースターの「トゥルー・ストーリーズ」を彷佛とさせる。そしてこの短編の最後の一段落がとても好きです。ちょっと笠原メイの手紙を思いだした。

ハナレイ・ベイ

ダンス・ダンス・ダンスに出てきた、ディック・ノースを思いだすような短編。この物語の主人公であるサチと、日本人の若者「ずんぐりと長身」のやりとりはなんだかちょっとぎこちなくも思えるし、実際にサチのような人に出会ったら、あんまり好ましく思わないかもしれない、という気がする。それなのに、サチという人物の背景に広がる漠としたものの余韻があとをひく。

どこであれそれが見つかりそうな場所で

何も起こらない話、とも言えるし実際何が起こったのかはさっぱりわからない。25分と20日の間に因果関係を見いだすべきなのかどうかもわからない。でも、好きな話です。「現実の世界にようこそ戻られました」というラストシーンにちょっとぞくっとする。この人を主人公にして長編を書いてくれないかなぁ。あと、幼い女の子とドーナツの話をするところで少し「蜂蜜パイ」を思いだした。「うさぎホイップ」「ほかほかフルムーン」はなんだろうな。エンゼルクリーム?

日々移動する腎臓の形をした石

言葉の呪いと折り合いをつけて「取り替えがたい感情」を手にするお話、といっていいのかな。はじめに想像したキリエの職業と主人公が書く物語の主人公の職業が同じでちょっとひっかけられたような気分になったのだけど、そういう仕掛け(狙い)だったんだろうか。だったんだよね、きっと。

品川猿

今回の短編集のなかで一番好きな作品は、と聞かれたら、書き下ろしのこの「品川猿」だと思う。この「東京奇譚集」では、ほかでもない、自分自身の人生を選ぶ、というお話が多かったような気がするのだけど、それはこの作品の後味がそう思わせるのかもしれないです。
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と、なんだかまとまりのない感想ですが、全体的な雰囲気としては「レキシントンの幽霊」と「神の子どもたちはみな踊る」に近かったような気がする。そう考えると、この2冊も充分「奇譚」だったなあと思って、ちょっと読み返したくなってます。