小林賢太郎さんのこと

先日、外で昼食をとっていると、近くの席に座っていた大学生くらいの2人組が「出会いがない」と嘆くのが耳に入った。久しぶりの外食で、人の会話が聞こえてくることすら嬉しく、ついつい聞き耳を立ててしまう。
「授業もないし、イベントもないし」「バイトは?」「いない。バイト変えるしかないかぁ」
そう言って、今恋人がいたらしたいことをあれこれ話していた。
「浴衣着たい」「海かプール」「夏だけでもいいから止まんないかな〜」「去年も行ってないのに、海」

軽快な会話に、ほんとだよ、と心の中で相槌をうつ。
あんたは大学生活コロナじゃなかったでしょ、と言われるかもしれないけれど、誰にとっても今年の夏は1度きりだ。


そんな気分を引きずっているので、近頃はどうもテレビをつける気になれない。
開会式の日に、妹の引越し祝いで両親にも会ったのだけど、四六時中テレビ漬けな父はすぐさまテレビの前に陣取ったものの、他は皆、なんとなくテレビから目をそらすようにしていた。
それはおそらく、私と妹がラーメンズのファンだったことを知っているからというのもあったと思う。

この日記にも、かつては頻繁にラーメンズの公演感想を書いていたので(10年以上前の文章と直接つながっている場所があるというのは気恥ずかしいですが)話題になったラーメンズのコントについても、当時はまだファンではなかったものの、映像を見たことはあった。けれどすっかり忘れていて、
今回新たに見直してみて、確かにだめだ、と思った。
コントのストーリーとしては、ダメな人のダメな企画としてあげられ、却下されているというものなので、ついそこを考慮して欲しくもなるけれど、やはり「笑い事にした」というのは疑いようもないことだ。私を含む、日本人の多くがホロコーストに対して鈍感すぎた(今もなお)というのもあるだろう。反省する。
ただ、ニュースでなんの留保もなく「ホロコーストを揶揄したとして解任」と読まれることには抵抗がある。

私はラーメンズのファンだったとはいえ、小林賢太郎さんのプロデュース公演でのあるセリフに引っかかって以来、活動を追わなくなってしまっていた*1。そういう経験があるにせよ、それでも、
この後、方向性を変えていったことは知っているし、その名前をこのニュースで初めて知る人もいるということを悔しく思った。
それを言葉に出すこともためらわれる空気の中、母親がふと「解任は仕方ないけど、小林さんの謝罪文よかったよ」と言ったので、なんだか少し泣きそうになった。

私は、物語の登場人物の行動と、作者の思想はイコールで結びつけられるべきではないと考えている。
一方で、現実に傷つけられた人々がいる事柄については、扱い方に十分注意すべきだと思う。
そして、適切に注意できるかどうかは、作者自身の考えによるところが大きいだろうと予測する。
しかしその「考え」を誰が判断できるのだろう。
小林賢太郎さんの件だけではなく、最近はそんなことを考える機会が多い。

自分もほんの1クリックを億劫に思うことがあるけれど、わかりやすいものを求める気分には抗いたい。
今はまだ材料が足りないと思ったら判断を保留すべきだし、誰かの考えに乗るのではなく、自分で考えることに時間を使いたい。
かつてと同じようにあのコントのことを忘れてしまうこと、そして今回の顛末を忘れてしまうことはしたくないと思う。


小林賢太郎氏 謝罪コメント全文「浅はかに人の気を引こうとしていた」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
元ラーメンズ片桐仁も謝罪 五輪演出・小林賢太郎氏の元相方「若気の至りと言えない」/芸能/デイリースポーツ online

2021年7月のこと

梅雨があけた途端、そういえば夏ってこんな感じだったと目が覚めた。
7月初旬に「まあまだ涼しいし、日焼け防止の観点からも羽織りものがあった方が良いのでは?」みたいな気持ちで買った長袖のシャツが届いたものの、とてもじゃないけれど袖を通す気分にはなれず、なぜこの暑さを忘れていられたのだろうと不思議で仕方がない。
天気予報も「運動には向かない暑さです」と言っている。

それなのに頷く間も無くオリンピックのニュースをやりはじめるので、この辻褄の合わなさについて考えるところから毎朝が始まる。

街を歩けば、あちこちに2020と書かれた日に焼けた旗が目に入る。こんなオリンピックとは無縁の街にも旗が掲げられていることと、もともとさしてスポーツに興味のない私の生活までが、それに振り回されていると感じることの共通点について考える。
この旗をデザインした人、印刷した人、納品した人、掲示した人。
私を含めた多くが、きっとただ気兼ねなく家族と会い、友達とご飯を食べられる日常に戻りたいと自粛していたはずだ。

こういう時、自分の身の回りの、1日の生活のことだけに集中するというのは、気持ちを落ち着けるためには有効なことだし、自分も幾度となくそうしてやり過ごしてきたことがあったけれど、
ここのところ、若い頃の自分が見て見ぬ振りをしていたことに直面させられる出来事が続き、自分の考え方、感じ方についても、変わる部分と変わらない部分があることを自覚し、自分の態度を考えなくてはと、より強く思うようになった。

推しが日本ダービー勝ってくれたら死ぬ


近頃は自炊にも飽きてきており、毎日がトイレットペーパーの芯みたいに手応えがない。こういうとき、気分転換にちょっと外で飲むか〜、というのができないのも悲しい。人と会ってご飯を食べる機会が減った分、この1年は家でちょっといいビールを飲むことにはまっており、なので家飲みは日常と化し、気分転換にならないのだった。

そんな私の心の隙間に入り込んだのがウマ娘でした。「ウマ娘 プリティーダービー」です。

ウマ娘 プリティーダービー」とは、簡単に説明すると、実際の競走馬をもとに擬人化された(牡馬・牝馬どちらも「娘」に統一されている)キャラクターを育成するゲームです。プレイヤーはトレーナーという役割になっているため、一応育成と書きましたが、育成というのもおこがましい、横で応援させていただいている、という感じです。

最初は「話題だしちょっとやってみるか〜」という動機だったんですけど、やればやるほど、これにもあれにもそれにもちゃんと元ネタがあるということに感動し、気づけばウィキペディアを読みあさってしまう日々。これはウマ始めた人の通る道だと思うんだけど、そこにちゃんと求めるものがあるのが競走馬のウィキペディアの凄さ。読み応えのある記事が多い(ありがたい)。
最初にゴールドシップのシナリオやって、ウォッカをやって、そのライバル、ダイワスカーレットをやって、徐々に物語が立体的になっていくのを感じる。

そして「ウイニングチケット」です。
ダービーに憧れ「タービーウマ娘になりたい」と語るチケットを見て、私は「ウマ娘 プリティーダービー」でレース後にウマ娘たちがライブを行う理由を理解しました。
ダービーはつまり武道館。
多くのアイドル(≒ウマ娘)の目標であり、それが通過点になるか到達点になるかはわからないけれど、そこに立った(勝った)ということが歴史に残る場所。それこそが日本ダービーなんですね。その過程を近くで応援できるなんて、最高の役得じゃないですか…。ありがとうチケゾー、私と一緒にダービーを目指そう!!

そうしてチケゾーと1年のトレーニングを経て、いざダービーに出走、辛くも勝利をおさめた瞬間、沸き起こったのはまさかのチケゾーコール。これは主人公(トレーナー)とウマ娘だけの物語ではなかったんです。この世界にも、これまでチケゾーを信じて応援してきたファンがいたんだということを知り、ドセンでチケゾーおめでとうパネルを持ってむせびなくオタクの姿が見えた気がしました。
あまりに高まりすぎて、なんでチケゾーシナリオはダービーがラストじゃないんだろうとすら思いました。

(その後、やり込んでいくうちに全てのシナリオは同じ3年間のスケジュールで構成されているということ、3年目にダービーはないということを理解しました。というか「皐月賞日本ダービー菊花賞」の3冠は3歳時しか出れないってほんと特別なレースだし、それを分け合ったBNW尊い

そしてウィキペディアを読みました。
チケゾーコールや、チケットの「日本ダービーを獲ったウイニングチケットです!」というスピーチの元ネタ、チケゾーのシナリオのクライマックスがダービーにある理由。友人として描かれるBNWこと、ナリタタイシンビワハヤヒデとの関係。
現実じゃん、と思いました。
そして、この物語を、このゲームはこのようなシナリオに仕上げて見せてくれたのか、ということを理解し、制作者の愛を感じました。
これは競馬オタクによる、競馬のエモさのプレゼンであり、そのプレゼンはしっかり私の胸にも届いたのでした。

もちろんモデルとなった競走馬自身がどう感じているかなんてわかりません。
やる前は、物言わぬ対象を擬人化することにちょっと抵抗もあったんですが、
しかし、その後、BNW周りの記事や、オグリキャップについてのドキュメント本(「銀の夢」)を読んであちこちに元ネタを見つけていくうちに、このゲームは「競走馬」そのものを擬人化しているというより、「競走馬の物語」を擬人化したものに近いと感じるようになりました。先述のチケゾーコールのように、その競走馬だけでなく、周囲にいた人々の思いをうまくその物語に編み込んでいるイメージ。
メインストーリーで「ダービーをとれなかったトレーナー」として主人公に連絡してくる先代トレーナーのこのセリフの元ネタも、おそらくチケットによって悲願のダービージョッキーとなった、チケゾーコールの元ネタでもある柴田騎手の言葉でしょう。


(記事はチケットシナリオ攻略後にすぐ買ったNumber(ナンバー)978号より。今もチケットに会いに来るファンの話が出てきてここでも泣きます。長生きしてほしい。)

ゲームの中ではないことになってますが、自分にとっての競馬はこれまで「賭け事」というイメージでした。まあそれが正しいと思います。
けれど同時に、最後の有馬でオグリキャップ単勝を買った人の思いは「賭け事」だけではないことも今ならわかる。
なので今は私も「デビュー時から応援してたんだ~」といえるような馬をみつけてみたいなと思ったりしています。
なんかもうすでに複勝ではなく単勝を買い続けることでネイチャへの愛を示した経験がある気がしちゃうもんね。そんなファンの思いがあのトロフィーに込められてるわけでしょ?? ファン心理を理解しすぎていて泣きどころが多い。

ゲームとしては、サポートカードを強くしないと強くできないのはわかってるんですが個人的にはとにかく新規シナリオ(育成ウマ娘)を読みたいので、悩ましいところです。

この本もめちゃくちゃ良かった。
オグリキャップとそのライバルたち、そしてその周囲の人々への膨大なインタビューによって、構成されており、みんな応援したくなる。そして、最後には冒頭の有馬記念の場面を読み返してしまう本でした。

悪夢と「アメリカン・ユートピア」

先日、妹と「よく見る悪夢」の話をした。
妹は「本番前なのにまだ台本を読んでいない」悪夢をよく見ると言っていて、彼女は学生時代は演劇部だったし、当時の思い出が影響してるのかもしれない。

私のよく見る悪夢ベスト3は、おそらく「遅刻する夢」「冷蔵庫に入れておいたものを食べられてしまう夢」「家にきた見知らぬ人が帰ってくれない夢」だ。
「遅刻」については、学生時代遅刻ばかりしていたことが原因だろう。一方、皆勤賞を取りかけたこともあるという(えらい)妹は遅刻する夢をみないという。
「冷蔵庫」については、実家にいた頃、「楽しみにとっておいた食べ物」を父親に食べられてしまうという事件が約半年に1回程度は発生していたのが原因だ。それは妹も覚えていて、(半年に1回程度とはいえ)相当な恨みとして蓄積されているんだねえ、なんて話をした。

そのように、夢(特に悪夢)というのは、過去に恐れていたこと、常々嫌だと思っていることが形を変えて繰り返し再生されるパターンが多いように思う。

そして「家にきた見知らぬ人が帰ってくれない夢」だ。
これはおそらく一人暮らしをするようになってから見るようになった夢で、いろいろなパターンがあるものの「帰宅したら家に見知らぬ人がいて、なかなか帰ってくれなくて非常に困る」というのが基本的なあらすじだ。
実際にそういう体験をしたことがあるわけではないのに、早く帰ってほしい、早く1人になりたい、もうこの家を出るしかないんだろうか、と焦って目が覚める。

「なんでそんな夢みるの?」と妹は言った。
それは多分、私がそういう人間だからだと思う。

そして「アメリカン・ユートピア」をみた。
デヴィッド・バーン(元トーキング・ヘッズ)のアルバム「アメリカン・ユートピア」を原案に作られたショー(2019年秋スタート)を、スパイク・リーが映像化した作品で、
(とても面白かったので、まだの方にはぜひにとおすすめしたい)
曲と演出と合間のトークとがすべて1本のプレゼンになっているようなところがわくわくしたし、自分にとってはカート・ヴォネガットの小説を読んでいる時の心地を思い出すところが多々あった。

ショーの中盤、「everybody's coming to my house」について、

先日、この曲がハイスクールの合唱部によって歌われる機会があった。この曲は「everybody's coming to my house」と言いながらも、本当は早く帰ってほしいと思っている、そういう部分が出てしまう。私はそういう人間だから。しかしその合唱バージョンは違った。皆を歓迎している雰囲気があって、私もそっちがいい!と思った。しかしながら私はこういう人間なので…

というように話す場面があった。記憶で書いてるのでニュアンスが異なるところもあると思うのだけど「そっちがいい!」と「私はそういう人間だから」というところは強く印象に残っている。

「everybody's coming to my house」は移民についての歌であり、つまりhouseは何か、このショーの意図するところは何か、というのは明瞭である。最初からデヴィッド・バーンは「移民がいなくては成り立たない」と語り、バンドも多国籍な素晴らしいメンバーで構成されているし、彼自身現在もイギリスとアメリカの二重国籍である。そういったメッセージを伝えることと、
しかしながらごく個人的な部分で、自分は早く帰ってほしいと思うタイプの人間であるということが同居できているというところを、私はとても好ましく、心強く思いながらみた。

人が出て行ってくれないという悪夢をしばしばみる私も、人が嫌いなわけではないのだ。
好きな人は好きだし、一人も好きだし、ポテトチップスの袋を眺めているのも好きだ。
誰であれ人は理不尽な差別をされるべきではないと考えているし、別々の場所で眠りたい相手を好きという状態もある。

「Every day is miracle」の歌詞も気に入った。
繰り返しの「毎日は奇跡、毎日は未払いの請求書、夕食のために歌わなくちゃ、互いに愛し合おう」というところ。
毎日を未払いの請求書のように感じているのも正直な気持ちだし、同時に奇跡的なものとして大切にも思っている。それでも月曜の朝はだるい。しかし今日が来たことは嬉しく思っている。
反対のようなものが、実は共存して寄り添っている。このショーの冒頭で示される脳のように。

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1年

引っ越してから、よく地図を見るようになった。ここ数年は駅を中心とした生活をしていたけれど、今回は長く住むつもりでいるし、ここを自分の地元にするつもりで、気になる場所をブックマークしては、散歩がてら訪れてみたりする。土地勘と愛着は比例しないこともあるけれど、幸いこの町は今のところ、知るほどに居心地が良い。

少し前の話だけれど、3月の終わり頃、住んでいる自治体から3000円分の商品券が届いた。コロナ対策で、地域事業者への還元を促すための商品券とのことだった。嬉しい。使えるお店のリストを見てみると、行ったことのあるお店がいくつもあった。そして行ってみたくてgoogleマップに保存したばかりのもつ焼きやさんもあった。
とりあえず偵察のつもりで店の前を通ってみると、営業時間が変更されていたのか、15時過ぎなのにもう開く所で、なおかつ一番乗りというチャンスだった。
カウンターは1人ずつパーテーションで区切られているものの、久しぶりの居酒屋然とした雰囲気に心が踊る。メニューを熟読し、串を5本とモツ煮とビールを頼む。炭の上にのせられていくのは、すべて私のための串というラッキータイム。凍ったジョッキは久しぶりだ。
常連らしきお客さんで賑わい始めた頃、「これ使えますか」と商品券を出すと「おっもう届いたんすね」と言われて、その地元っぽいやりとりがちょっと嬉しかった。

次に使ったのは、近所の喫茶店だった。休日は混むのと営業時間が短い(コロナ対策)ことをのぞけば、私の理想の喫茶店で、月に2、3回くらいのペースで通っている。ケーキもコーヒーもとてもおいしいうえに、私の好きな絵も飾ってある。
家から向かうと、少し坂をのぼった先になるのだけれど、先日、その坂の上からだと富士山がよく見えることに気がついて、さらに好きになった。細い道から見ると、富士山はより大きく見える。

最後の1000円分は、ロースカツをテイクアウトするのに使った。
今の家の売主さんにおすすめしてもらったとんかつやさんで、引っ越し後に幾度か店の前で鉢合わせたこともある。
持ち帰って、ご飯を炊いて、いざ食べようと思ったら肝心のご飯を失敗していた。軽量カップ文鳥用の、切り落とした蕪の葉をいれていたため、横着して他のカップで軽量したのが原因だ。
食べられなくはないけど、べちゃっとした食感の残念ご飯でおいしいとんかつを食べながら、今後お米を炊くことで妥協しない、という誓いを心に刻んだ。

そうこうしているうちに4月が終わり、ついに引っ越して1年がたった。
1年というのは、こんな風に、商品券を使いたい先をいくつも思いつくことができるだけの日数なんだなと思う。
一方で、休業を知らせる看板の日付に幾重にも線がひかれ、延長を余儀なくされているお店もある。今日もまた、緊急事態宣言延長のニュースが流れたばかりで、
私はまだこの町の「いつも通り」を見たことがないのだなとも思う。もう1年が経つというのに。