春キャンプに行ってきました

先日、沖縄の春キャンプに行ってきました。
一昨年急に野球に興味を持ち、好きなチームも定まった昨年にはそれなりの試合数を見たわけですが*1、野球の年間スケージュールのうち、まだ未体験かつ、どういうものなのかよくイメージできていなかったイベントがこの「春キャンプ」でした。

選手が集まって練習を行う合宿であるというのは知っていたものの、
少なくとも自分には、キャンプを見ても選手の調子の良し悪しがわかるほどの知識はまだないしな、という思いもありました。
それでも、ファンが参加できる、プロ野球に関連するイベントは一通り体験してみたいという気持ちがあり、
何より昨年キャンプを見に行った友人たちから楽しかったという話を聞いていたことで、沖縄行きを決意したのでした。


自分のキャンプの感想を一言でいうなら「久しぶりにみんなの顔が見れて嬉しかった」です。
つい先日、春キャンプの始まりを「球春到来」と呼ぶことを知ったのですが、実際のキャンプはまさしく「(シーズンが)明けた」という感覚でした。
久しぶりに選手の顔を見て、練習してるところを見て、今年のシーズンに思いを馳せるという「新年」のイベントなんだと実感できただけでも、行ったかいがあったと思っています。

と、同時に、このキャンプ行きは自分にとってはかなり久しぶりの1泊以上の旅行でもあったので、以下備忘録としての日記を書いておきたいと思います。


2月6日(出発〜中日ドラゴンズ北谷キャンプ)

朝から大雪警報が出ていた前日、夕方あたりから飛行機の欠航やら空港までの路線が運休やらのニュースが舞い込んできて、これはもう心配しても仕方ないやつだな、と9時くらいに眠ることを決意する。
予約した飛行機は予報でも雪の影響が少なそうな成田発だったため、飛行機は多分大丈夫。何かあるとしたら成田までの道のりだなと思い、電車、バス、特急、どれでもいけるよう始発に合わせて3時半に起床。
文鳥がいないので朝がさびしい。日曜のうちに預かりをお願いしておいてよかったなと*2、雪道でトランクを引き摺りながら思う。

日暮里駅に着くと、昨晩止まっていたスカイライナーが見事復活していてほっとする。
成田空港に着き、履き替えた長靴をトランクに詰め込んで預けた後、手荷物検査へと向かう。
空港内のゴミ箱には真新しいビニール傘が何本も刺さっていて、急な雪で買ったものの、機内に持ち込むほどではないということなのだろうが、なにか活用方法があったらいいのにと思ったりした。

成田は雪こそ積もってはいないものの冬らしい曇天であったが、離陸した飛行機が雲を抜ければそこには青空が広がっていて、そういえば湯浅選手の座右の銘が「雲外蒼天」であったなと考える。今年の調子はどうだろうか。日本シリーズでのあの一球が、曇天を抜けるきっかけになっていたらいい。
機内でもサービスのコーヒーを飲んだあとすぐに就寝。起きたらすでに沖縄上空で着陸態勢にはいっていた。


成田の上空


那覇空港で荷物を受け取った後、路線バスを乗り継いで北谷へ向かう。
路線バスの乗り継ぎには不安があったけれど、教えてもらったサイト*3のおかげでうまく乗り継ぐことができた。

平日ということもあり、バスにお客さんは片手で数えられるほどしかいない。

そんな中、車内の、ドラゴンズのキャップをかぶったおじいさんが、電話で、財布を無くした話をしていることに気づく。
どうやら、自分が立ち寄った各所に電話を入れ、落とした財布の特徴と連絡先などを伝えているようだった。
電話の合間に、独り言で「はあどうしよ」「**のチケットも入ってるのに」「そうか、クレジットカード…」などと呟く声が全て聞こえてきて、盗み聞き(車内全員に聞こえるくらいの声なので聞こえてしまうのだけど)しているだけなのにハラハラする。

見つかるといいなと思うが、「届いてない、そうですか」が連続で聞こえてくる。
漏れ聞く情報から、キャンプを目当てに県外からやってきた人のようで、旅先で財布を落としたのであればそれはもう心細いことだろう。

やがて、私が降りる予定の駅まであと3駅程度に迫ったところで、ついにおじいさんの電話が鳴った。
聞いていると、どうやら北谷の球場に落とし物としておじいさんの財布が届いていたらしい。
「いやーありがとう!」「もうすぐ北谷に着くので、いまからいきます!」と声を弾ませるおじいさんの背中を見ながら、私も拍手をしたいくらいの気持ちだった。

降りる際、ポケットから小銭をだし「今これしかないんですけど、帰りのバスでまとめて払えますかね」と聞いたおじいさんに、運転手さんは「お代はいいですよ、お財布みつかってよかったですね」と返していて、
沖縄、いいところだなと思いながら私も目的地に到着した。



キャンプに来たって感じがした看板


沖縄でキャンプをしている球団はたくさんあるのだけれど、今回は中日ドラゴンズのキャンプ地である北谷に宿をとった。
現地で合流予定の友人のうち1人がドラゴンズファンなので、中日のキャンプも見るつもりだったのと、自分としても「嫌われた監督」のロケ地の一つとして重要な場所である北谷を見てみたかったのがある。

ホテルにチェックインをすませた後、徒歩で球場へと向かって友人たちと合流。

そしてこの日が自分にとっては初めての「キャンプ」だったわけですが、正直に言って、現地をうろうろしているだけで、次々に選手とすれ違うのでちょっとびっくりしたというか、腰が引けてしまった。
ディズニーランドでキャストに会えたみたいな感覚に近いのだけど、選手が人間すぎて恐れ多い。
中でも、乗り物に乗って現れた柳選手が極至近距離を通りすぎていったときには、本当に緊張した。
万が一ぶつかって選手が転んだりしたら責任がとれないので……。(ぶつかってません)

そうして軽く初日の「キャンプ」を味わった後は、友人たちと夕食を食べ、ビールを飲みに行ったりして22時頃に解散。
3時起きだったというのに、我ながら元気だった。

明日はいよいよ阪神のキャンプを見にいくということで、ソワソワした気持ちのまま就寝。

長くなったので翌日に続きます。


快適なホテルだった

*1:https://ichinics.hatenadiary.com/entry/2023/12/27/120435

*2:入院時もお世話になった鳥専門店にお願いした

*3:https://www.busnavi-okinawa.com/top/

SIMピンがない


先日、iPhoneの機種変をした。
バッテリーの持ちが悪くなってきたこと、容量が常に一杯一杯なこと、来月沖縄に行く予定があり、その際にスマホの容量やバッテリーを気にしたくないことなどから、年が明けたら機種変しようと決めていた。

SIMフリーにしてから初めての機種変なので、念のためSIMの入れ替え方法を調べてみる。
家にSIMピンがなかったので、代用法として紹介されていたクリップでトレイを開こうとしてみるも微動だにしない。無理に押し込むのは良くないと書いてあるのでいったん引き下がり、次の日にもう1回試してみたけれど開かない。
もしかしてトレイが故障してるのかなと不安になったが、約5年間一度もトレイを開いていないしカバーをつけて使っているのでゴミが混入したなどということも考えにくい。
とりあえずお店に行って、SIMピンを貸してもらうか何かして開けるかどうかを確認して、開けたらそのまま新しい機種を購入しようと決め、最寄りのヨドバシにあるアップルストアへ向かった。


欲しいiPhoneの在庫の確認をした流れで「つかぬことをお伺いしますがSIMピンておいてますか」と聞いてみる。
「ないですね」
「新しいiPhoneを買ったら、SIMピンてついてきますか?」
「つきませんね」
「……このヨドバシのどこかに売ってますか」
「売ってませんね」
「……ちょっとトレイが開けるかがわからなくて」
「えっと(スマホで検索)アマゾンで買えますよ、SIMピン」

わっかりましたぁ……、とヨドバシを出る。
それなりに高い買い物をしようとしているのにつれなすぎて心が折れかける。
ちなみにこの店舗はアップル直営店ではなく代理店だということで、もし万が一故障で開かないのであれば直営店なら修理を依頼できるということも聞いたら教えてくれた。
とはいえ、まだ故障と決まったわけではないのだ。

なんとかならないかな……と歩いていたところで、楽天モバイルのショップを見つけた。
自分は今楽天モバイル(ドコモ回線)を使っている。使っているよしみで、SIMピンを借りられないだろうか。

お店にいたお姉さんに「つかぬことをお伺いしますが……」と声をかけてみると、「SIMピンあるんで使ってみます?」と快く貸してくれた。
トレイはあっさりと開いた。
「開けるのが久しぶりだったりすると、ちょっと固くなってたりすることあります!」とお姉さん。
「新規の契約じゃなくてごめんなさい」というと、もう閉店なんで全然大丈夫です!と笑ってくれた。

トレイが開くことが確認できたので、やっぱり本体を購入したい。
つれないヨドバシで買うのも悔しかったが、(金曜日だったので)この土日に機種変の作業を終わらせてしまいたい気持ちが勝つ。
SIMピンはアマゾンにあるとのことなので翌日には来るだろう。ケース類と合わせて注文することにして、結局先ほどのヨドバシでiPhoneを購入した。
できれば楽天モバイルのお姉さんのところで買いたかった……せめてもうしばらく使い続けます……と思いつつ帰宅し、新しいiPhoneを確認すべく箱を開く。


SIMピンはしっかり同梱されていた。




翌々日、朝からMacのOSアップデートを完了し、使用中のiPhone(XR)のOSもアップデートしてバックアップをとる。
なんだかんだ準備に4時間程度かけたうえでようやくデータ移行にうつろうと新しいiPhoneの電源をいれてみると、旧iPhoneとの間で勝手にデータ転送が始まった。
Twitterにそのことを書くと、もうずいぶん前からそうなっているとのこと。
世の中ずいぶんと便利になってるんですね……。

夕方には新しいケースや保護フィルムも届いて機種変作業はひと段落した。
いざ使い初めてみると、アプリのいくつかは強制アップデートされてしまった(Xとか)ものの、中身は同じなのであっという間に「いつもの」になってしまってまったくテンションがあがらない。


日に焼けた文庫本のような色のiPhone(イエローとのこと)

月曜日、いつもの感覚でスマホでラジオ(うなげろりん)を聴きながら出勤していると、途中で音声が途切れた。
みるとネットにつながっていない。
PDP認証に失敗しました」と出るが、それがなんなのかを検索できない。
会社についてようやく検索をすると、新しいiPhoneをネットに繋ぐには、SIMカード入れ替え後に「APN構成ファイル」を再インストールする必要があるということがわかった。そういえば楽天モバイルを使い始めた時にもその作業をやったような気がする。

昼休みになってようやく喫茶店Wi-Fiに繋ぎ、無事ネットも使えるようになった。
きっとまた5年後くらいにこういう作業をすると思うので念の為メモをしておきますが、その頃にはまたいろんなことが変わっているんだろうな。

阿吽の文鳥

我が家の文鳥が4歳になった。
2020年の1月なかばに生まれたとのことなので、1月15日を誕生日としつつ、1月の中旬全体を誕生日週間として過ごしている。

4年前、今の家に引っ越す前から鳥を飼いたいと思っていた。だからペット可の物件を探していたし、物件が決まってすぐ、近所に評判のよい鳥専門のペットショップを見つけたときには、やはり鳥を飼う運命なんだなと思った。
ただ、2020年4月というコロナ禍の混乱の中での引っ越しだったため、当時はそのお店も休業していて、ようやく訪れることができたのは6月に入ってからのことだった。


意気込んで訪れたその店にはたくさんの鳥がいて、けれど私のように待ち構えていた人が多かったのか、置いてあるケージのほとんどに「予約済」のシールが貼られていた。
そんな中、唯一何も貼られていないケージにいてくれたのが、我が家の文鳥となるソイだった。重ねられた上のケージにいる文鳥が気になるようで、シードを盛大に食べこぼしながら、上の文鳥の動きを追っている。おっとりした印象の文鳥だった。


あれから約4年、文鳥との同居生活はある意味、阿吽の呼吸で成り立っている。

朝6時、目覚ましが鳴り、ベッドを這い出してお湯を沸かし、おはようと声をかけながらおやすみカバーを開く。
カバーを取って数秒はぼやっとしているけれど、私がお茶を入れている間に、ソイも朝の歌を歌いはじめる。
鳥は眠っている間はフンをしないようで、朝一に大きなフンをするため、その溜めフン完了を確認してからケージの扉を開く。
開いた後、両手の人差し指を互い違いに差し出してやると、右手、左手と跳んでくる。この様子が格別にかわいいので誰かに見せたいのだけど、両手が塞がっているため動画などをとることができず残念だ。

テーブルの上に出したシードを少しつまんだ後、ソファでスマホを見ている私の肩にやってきて丸くなる。たまに右肩から左肩に移動して、私があくびをしようものなら涙を飲もうと首を伸ばす。

30分ほどそんな姿勢で過ごした後、ようやくケージ内のシードや水の入れ替えを行う。
以前は入れ替え前にケージに戻していたのだけれど、最近のソイは入れ替え中もずっと肩にとまったまま、作業を見守るようになった。怖がりな文鳥なので、かつては肩に乗せたまま移動するということはなかなかできなかったのだけど、そこはこの4年間で信頼が芽生えたと言えるんじゃないだろうか。

入れ替えが完了したところで、ケージに戻す。
パラパラと、シードを食べこぼす音を聞きながら私も朝食を食べる。
出勤のため行ってきますを言うときにはちゃんとこちらの目を見てくれる*1

いつかのことを考えるのはこわいけれど、せめてこうした繰り返しと変化を、全部覚えていたいと思う。

飼い始めて1週間くらいの日記
ichinics.hatenadiary.com

*1:朝限定だけど

年末年始日記(4)初夢、映画初め、今年の目標、20年

1月2日

大きな公園の中に用意された野外劇場で、ブラスバンド部の映画を見る夢をみた。
野外劇場といっても芝生の丘に椅子が並べられていただけで、スクリーンがどうやって固定されていたかは覚えていない。
これが今年の初夢だった。

昼になって買い物に行き、すぐに着れる服をいくつか買う。
きちんと試着をして購入したせいか、買ったものはどれもしっくりきて満足感が高い。
コロナ禍を境に、服はネットで買うことが増えたのだけど、ネットで服を買うと失敗もそれなりにあって、いつのまにか服を買うのがあまり楽しくないな…と思うようになっていた。
だからこそ、久しぶりに確実な買い物をして気持ちが潤った。

夕方、食事の準備をしていたところで羽田空港の事件を知る。
海保機は能登へ向かうはずだったとのことで胸が痛む。

1月3日

身近でコロナ、溶連菌、インフルエンザと感染症が流行しまくっている。

この日も予定が消えたので、近所の映画館へ「枯れ葉」を見に行った。
時代ものかと思っていたが「今」の映画であり、生活と、社会と、世界情勢と、マクロとミクロは行き来するものではなく、近景・遠景は同時にあるものなのだということを考えたりしながら見る。
例えば、自分のこの日記はミクロであり近景なのだけど、ネットやテレビ越しに知るニュースの向こうには誰かの生活があることと同じように、日記と同時に遠景は存在している。

映画を見たあと、最近できたスーパーに寄ろうとしたところ、同じフロアにシャトレーゼができていることに気づく。
あこがれのシャトレーゼだ。
生まれてこの方、通える距離にシャトレーゼができたことがないのでテンションがあがる。カゴを小脇に抱え、気になるものをあれこれ購入する。

夜、購入したおやつを食べながら「イニシェリン島の精霊」を見る。
これもまさに近景・遠景の映画で、メインに描かれている、2人の男性間における唐突な拒絶とそれに伴うトラブルを近景に、時代背景でもある宗教対立が見えてくるという構図の映画だったと思う。
描かれているトラブルは、口で説明したら「なんでそんなことで」となりそうなのに、見てると「こういうことはある」と思わせる説得力があり、どうしたらいいんだという気持ちで一気に見た。
見終わった後、人の感想が気になって、いつも映画の話をする友人とのグループLINEで感想を聞く。

1月4日

年末からyoutubeで「マユリカ」と検索し、でてくる動画を片っ端から見る生活を送っていたので、大体どの辺りの芸人さんと仲が良く、どういったエピソードトークが定番であるかというところまではざっくり把握できたような気がする。
ここまで勢いよく掘ってしまったということは、もうファンになったといって良いのではないかと思います。
いわゆる芸人さんにはまった経験はラーメンズしかないのでちょっと新鮮だ。

7日に友人とオンラインでお笑いの話をしようと言っているので、そこでこの冬休みの耕しのせいかを聞いてもらおうと思う。

明日は仕事始めなので、憂鬱になりながら「仕事以外の」今年の目標を考える。

  • 無駄な買い物をしない
  • 野球シーズンは毎日日記を書く(ここ以外でやるつもり)
  • 作り置きおかずのレパートリーを増やす
  • 月1以上妹の子に会いに行く
  • 英語(リスニングと、英語字幕をもっと読めるようになりたい)
  • もっと本を読む
  • 運動習慣をつける
  • ものを捨てる
  • マユリカを見に行く

暫定です。

明日は仕事だけど、明後日は休みなので成人の日ありがとうと思いながら眠る。

***

ところで、年末年始の振り返りを書いていて気づいたんですけど、この日記、なんと今年20周年なんです。
いまや日記というよりも、さまざまなものを好きになった記録、みたいな感じのまとまりのない場所になっていますが、はてなのサービスがある限りは続けていくつもりですので、読んでくださってる方がいらっしゃいましたら、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

年末年始日記(3)ランチ、ラジオ、みかん

12月30日

高校の頃からの友人Rが帰省しているというので地元でランチ。
お互いの仕事のことや共有の友人のこと、彼女の娘さんのことや親の体調についてなどあれこれ話をしていたらあっという間に時間が過ぎた。
アニメが好きな娘さんとは、以前にもハイキューや呪術廻戦の話をしたことがあり、会いたいと言ってくれてたそうなのだが(嬉しい)、今日は最近できた恋人とデートとのことだった。
もうそんな年なのかと驚く。ついこの間までRと話をしている横でエルサの人形で遊んでいたのに。

Rはこれから帰宅がてら、デート終わりの2人を車で迎えにいくとのことで、まだ明るいうちに別れる。

帰宅後は水回りの大掃除。
きれいになったコンロで伊勢うどんをゆで、静岡で買った練り物を乗せたりして食べた。

もうちょっとM1の感想話をしたくて、先日阪神振り返り会をした際にマユリカラジオ(うなげろりん)をおすすめしてくれていた友人にLINEをすると、M1感想から派生していろいろとお薦めコンテンツを教えてくれた。
移動中や掃除をしながらうなげろりんを聴き、放鳥をしながらyoutubeマユリカを検索するといった具合で完全にスイッチが入る。

マユリカのうなげろりん!! | ラジオ関西 AM558 FM91.1


12月31日

実家や義実家に帰省中の妹から体調不良のお知らせが舞い込み、年末年始の予定がいくつかなくなる。

この日も予定がなくなったので、またマユリカのラジオを聴きながら大掃除の続きをし、キリの良いところで近所の喫茶店へ。
つい先日来た時に、満席で入れず「(店内限定の)ティラミス食べにきたんです」と言ったのを覚えていてくれたのか、入った瞬間、申し訳なさそうに「(ティラミス)いまさっき終わっちゃったんです…」と声をかけてくれた。
目当てのティラミスがないとはいえ、このお店は何を食べてもおいしくコーヒーも最高なので問題ない。
ケーキは持ち帰りに包んでもらい、コーヒーを飲みながら『卒業生には向かない真実』の続きを読む。
展開と、ページ数が噛み合っていない気がする、と思いながら読んでいたら、予想外な展開が来て思わず本を(スマホですが)閉じ、店をでて外を歩き回る。これはそういう本だったのか、と思いながら帰宅。

夜はサンテレビ阪神タイガース特番配信と紅白を両方つけながら料理を仕込む。年越しは特にカウントダウンもないままサンテレビでした。はやく球場に行きたい。


1月1日

実家の弟が溶連菌感染で寝込んでいるとのことで新年の集まりはなくなってしまったのだけど、父母は一応元気で、尚且つ父の誕生日でもあるため、せめてもとお年賀を持参して顔を出す。
顔を出したところで、弟は解熱剤を切らしていてしんどそうだと聞き、それなら自宅に解熱剤のストックがあるけど…という話になって、一旦家に戻って解熱剤をとりまた実家へ戻るという移動を繰り返した日になった。
解熱剤を渡し、袋入りみかんと餅をもらって帰る。

帰りの電車の中、本の合間にSNSを開いて地震があったことを知る。
大事にならなければいいけれどと思いながら帰宅してテレビをつけ、ようやく事態の深刻さを知った。
今は募金くらいしかできることはないが、赤十字の方が良いだろうと思い少し待つことにする。
(その後、1月4日にスタートした)
令和6年能登半島地震災害義援金|国内災害義援金・海外救援金へのご寄付|寄付する|日本赤十字社