日本語の不思議

日本語で上手な文章を書くには:10のべからず
http://d.hatena.ne.jp/./svnseeds/20060908#p1

はてブで知った記事。面白かったです。6番の「主張は断言せず、曖昧に述べなくてはいけない」というとことか、まさに私にもあてはまるし、そしてこの「べからず」全体に疑問に思うところが多いのは、それが「べからず」と否定/断言されているからなのだとも思います。そうやってまんまとひっかかる。
今、私は「この「べからず全体に疑問に思うところが多いのは」と書きましたが、これを疑問に思うところが多いと感じているのは私だけかもしれません。私は普段、その「私だけかも」という意味も含めて「〜と思う」「〜ではないか」を使っているのですが、この6番の「べからず」はこう続きます。

また、できることなら、自分が主張しているのではなく、誰かがそう言っている、と述べる方がより望ましい。

これはどうでしょうか? 「〜と思う」と書く場合、主語は「私」なのですから、誰かがそう言っている、と述べることとは異なると思います。誰かが、というときは「〜ではないか」を使うという手もありますが、これも「〜(と一般的に言われているように)思う」の変化した形ととれるし、この後に「しかし」とか「そのように」で主張が続くというのが日本的な文章とされているんじゃだろうか(と、私は感じています)?

3番「結論を冒頭に述べてもいけない」などは、日本の、特に文語において主語が省略されがちであること、結論を最後に述べる話法であること、が理由だと思います。そういう研究はどこかでされているのでしょうし私も学生時代に習ったような気がしますが、横着して調べる前に考えてみると、例えば「京都に行った時に食べた鍋料理は美味しかった」という文をyahoo翻訳にかけると「The food served in a pot which I ate when I went to Kyoto was delicious.」になる。でさらに日本語に訳すと「私が京都に行ったとき、私が食べた鍋で出される食物は、おいしかったです」となる。
日本語では、同じ言葉を何度も繰り返すことで文章のリズムが崩れることをよしとしない(場合が多い)ので、訳文を添削するとしたら「私が」のどちらか、もしくは両方が省略されるだろう。英語の方はどうなるか、わからないのが残念だけど、日本語に比べて、強調したい部分によって語順の融通が利く言語なので、例えば「おいしい」を強調したければ「I had a very delicious meal in Kyoto」なんて具合にすることができるだろう。でも日本語の、特に文語では「おいしい」を強調するとしたら「私は京都でとても美味しい料理を食べた」などのように語順以外のことであらわされる。また。「おいしい料理を京都で食べた」と語順をかえることで、強調される点は「京都」になる気がする。とすると、やっぱり日本語では強調したいこと(主張)は最後にくるものなのだろうか?

ともかくリンク先に書かれている「10のべからず」の多くは、つまり、読書感想文に限った話の場合、主義主張よりも「何を感じたか」と感覚的に書くことの方が好まれる、ということに尽きるような気もする。
10番の「どうしても他人の主張を批評する必要がある場合は、主張そのものではなく、その人の生い立ちや人となりについて述べなくてはならない」というのも、例えば「この物語の良くないところは、主人公が死んでしまうところ」と書くのではなく、「主人公が死んでしまって悲しかったけど、あとがきで著者の生い立ちを読み、身近な人の死に触れた悲しみが云々」などと書くと角がたたないですよってことなのかなと思った。

見本(なんだと思う)

感想文:はてなブックマークに寄せられたコメントを読んで
http://d.hatena.ne.jp/./svnseeds/20060912#p1