町/文房具屋

私の町の文房具屋、K文具のおばちゃんは小林亜星にそっくりだった。
いつ見てもレジ奥にぎゅうと詰まり、客が店に入ってもほとんど反応しない。会計をするときだけ、眼鏡の奥のその眼がこちらを向く、ぶあいそな亜星。
子どもだった私たちは、亜星を恐れつつも、こぞってK文具に通った。4畳ほどのスペースしかない、やたらと暗い店だったけれど、ガチャガチャは充実していたし、アイスも売っていた。なにより、私たちの遊び場である、寺に一番近い店だった。

小学校、とくに低学年のころ、文房具はファッションのようなものだったと思う。好みには傾向があったし、プレゼントしたり交換したり、コミュニケーション手段としても活用されていた。だから私たちは常にものいりだった。今あるお小遣いで何を買うかは、つねに重要命題のひとつだった。もちろん、お小遣いには限りがある。でもどうしても欲しいものがあるときは、どうすればいいのか。困った私は、亜星に向かって「折り紙」を値切ったことがあった。もちろん断られたし怒られた。あてたてのパーマがつやつやとぐろを巻いていたのを覚えている。後にも先にも、亜星の大声をきいたのはあの時だけだった。
「図々しいこだねッ!」
たしかに私は図々しい子だった。ただ図々しいなりに、切実でもあった。
あの頃、文房具がファッションや通貨であったとしても、それを選ぶ気持ちは、むしろ願掛けに近かったと思う。この鉛筆で絵を描いたらきっとうまくなる、あの鍵付きのノートにおはなしを書きたい、この消しゴムを最後まで使ったら、願い事がかなうとか、うんぬん。
私がその折り紙を欲しかったのも、要は願掛けのためだった。ビーサンつっかけてK文具に走って、左の入り口から入った下から2段目の棚の前、しゃがみこんで、折り紙を見ていたときのことは、今もよく覚えている。いつも買う折り紙じゃなくて、きれいな模様入りの折り紙、これをあっちと同じ値段にしてください、と言ったのだった。なんなら1枚でもいいんです。150円しか持ってないんです。でもこれじゃないとだめなんです。
ちょうど七夕の頃で、私はその折り紙で短冊を作りたかったのだった。この紙なら、きっと願い事も安心だと思ったし、近所の公民館にはおあつらえ向きの笹があった。しかし、断られた私は、もう願い事がかなわない、と焦った。願ってしまった自分をうらめしくも思った。

深刻な顔をして歩いていると、私たちがいつも集っていたお寺の境内で、同じクラスの女子3人に出くわした。「折り紙が買えないと大変なの」そんな意味不明な相談をしても、誰も馬鹿にしたりしない年頃だった。それが暗黙のルールだったのか、本気だったのかはわからないけれど、ともかく、ひとりがお金を貸してくれることになって、金をとりにいく間、残りの2人がK文具に「見張り」に行ってくれた。折り紙が売れてしまわないように。
いままで一緒に遊んだことはなかったけれど、すっかり熱にうかされた私たちは、まるで何かを誓い合った戦友のように、願いごとをかなえる折り紙を手に入れるため、団結した。
折り紙を買うとき、亜星が不思議そうな顔をしたので、私は得意な気持ちだった。私の願い事を阻む凶兆を、打ち破ったキブンだった。それから全員で公民館へいき、それぞれに願い事を書いて、笹に吊るした。残りの折り紙は、ひみつ基地にしまうことにして、5時のチャイムをききながら手を振った。
団結は楽しかった。しかし、金を借りたことが父さんにばれ、首根っこつかまれてA子の家に連れていかれ、金を返し、なんとなく気まずくなってしまうと、あっという間にこれまでどおりの、たいして仲良くはないクラスメイトに戻った。

結局、短冊の願いは叶い、母親は無事退院し、弟も無事生まれた。
そのことを、彼女たちに言ったかどうか、わからない。
ただ、K文具には相変わらず通い続けていた。カラカラ戸をあけて、ひんやりと押し寄せるあの紙のにおいが好きだったし、あそこにはガチャガチャもアイスもあった。
弟が小学生になったのは、私が中学生になってからのことだった。ある日、弟にノートをそろえてやれといわれて、K文具にいったときのこと。
いつものように、店の奥の暗がりにいた亜星は、ノートの束を渡す私とカウンタにようやく頭が届くていどの弟をみやり、「ご利益あったってわけだね」と言った。

それからわたしはK文具に行かなくなった。
寺で遊ばなくなったのもあるけれど、たぶん話しかけられたのがショックだったのだと思う。その当時は短冊のことと、ご利益と、繋がってなかったのだけれど、今思えばそのこととしか思えない。よくもわるくも、私は目立たない子だ。なんで私のことをきおくしているのか。それが一番、こわかった。
さらに10年近く経った頃、亜星が亡くなった。
それを私は、母親からきいた。母親と亜星がなぜ知り合いなのか、不思議に思って尋ねると、以前、母親がK文具に行った際、わたしの値切りと短冊のハナシをきかされたということだった。値切ってきたときは、図々しい子だなと思ったけれど、亜星の息子が公民館で働いていて、立ち寄った際に私の短冊を見つけ、弟が生まれているのを見て、母まで繋がったとのことだった。
なんどもなんどもなんども、私たちはあの店の前を通った。それを亜星は、あの薄暗いカウンタから、ずっと見てたのだなと思う。
「子どものやることってのは意味がわかんなくて苦手だよ」と亜星はいっていたそうだ。私も亜星のこと苦手だった。
ただ、亜星のことはよく思い出すし、きっとこれからも忘れない。亜星が私を知っていたことを私が知らなかったように、そのことを亜星は知らない。それがすこしさびしいと思う。これもまた、図々しいはなし。