手紙

車で一周するのに一時間もかからないような小さな島で、船着き場からは大きな夕日が見えた。船を降りてすぐ右には、小さな土産物屋とインターネットカフェとインターネットのないカフェがあった。タイの南にあるその島に滞在したのは、たった数日のことだったけど、ルームシェアをしていたアメリカ人の女の子がベジタリアンだというので、彼女の好きなTOFUバーガーを食べに、インターネットがない方のカフェにはかなり通った。夕暮れにはビールも飲んだ。宿から歩いていける飲食店は、その2つのカフェか、島の中央にある市場しかなくて、市場は昼時でないと食事をだしていなかったため、必然的に、船着き場のカフェにはいつも人が集まっていた。
その日、彼女が誰かと話している間、私は土産物屋をのぞいて、ハンモックを買おうかどうか迷ったりしていた。どこで使うかもわからないのに、これさえあればどこででも眠れるような気がして、真っ赤に染めてあるロープの束みたいなそれをつかんだり、はなしたりした。暇だったのだ。でも結局やめて、セブンアップと、そのついでにレジ脇においてある日に焼けたハガキの束から、一枚を抜き出して買い、地べたに座って手紙を書いた。
元気ですか。私はそれなりに元気です。夕日が大きいです。毎日とうふバーガーを食べています。それじゃあ、またね。
そんな手紙だった。島にいる観光客はほとんどヨーロッパ系だったため、日本語が恋しかったというのもたぶんある。でも、実際ペンを握ってみても、何も浮かばなくて、余白にてきとうな絵をかいたりして、売店で切手を買い、そのまま投函した。そんな暇つぶしの手紙だったから、日本に帰る頃には忘れていたし、ほんとうに内容もなかったから、帰ってきた後も、送り先の主とそのハガキについて話した記憶はない。

それなのに、つい数日前、その人から、今タイにいるっていう手紙が届いた。
「昔、タイからハガキもらったの思いだしたからだしてみた」と書いてあるそのハガキを手に、いま向こうがなにしてんのかとか、全然わかんない手紙だけど、もう数年、5年近く会ってない人が、タイで、私のこと(というか私の書いた手紙のこと)を思いだしてくれて、しかも住所を持っていたってのには驚いちゃうし、うれしい。元気かしら。元気ならいい。
ちょうど、ついったでタイの話してたりして、タイ気分になっていたからよけい、おあつらえ向きのタイミングに感じて、ゆっくりと、そのハガキが投函されるまでの経緯というのを思い描いてみる。
それはきっと、あのときの私のそれと、たいして違わない。そして、そのような瞬間は、やはりまっさらな偶然の足取りによるものなのではないかと思う。
驚くことはたくさんある。その編み目をもっとよく見てみたいなと思い、目を凝らす。それは、船着き場でぼんやり夕日を眺めながら、足音に耳を澄ませている感じと、とてもよく似ている。