1000番目より


わざわざ意識するのは照れくさいような気もしつつ、まあせっかくだしって、意識することにして、この更新の前に、自分の過去ログを読み返したりしていた。
1000、というきりのいい数字を前にすると、それはまるで手のひらサイズというか、くるっとまるまって持ち運びやすくなる感じがするんだけど、でもそれはやっぱり1と1の集まりなわけで、こうやって読み返してみれば、その、ばらばらの1日たちを、私は結構思い出すことができる。
ああそんなこともあったね。たのしかった。好きだった。かなしかった。でも、これ読むまで、ちょっとわすれてたよ。そんなふうに、少しずつ、かつての私は他人になっていく。
その反面で、1000回も更新していれば、同じようなことを何度も、繰り返し書いたりもしていて、それなのに、確実に書かれていないことも、あって。
それは例えば、家帰って部屋に入って、ブォン ……ジャーンってマック起動させて、コーヒーいれてきて、テキストエディット開いて、キーボードに手を置く瞬間の、あの感じについて、だったりするんだけど、それを知っているという、そのことだけで、999人の私と、この1000番目の私は、続いているんだと思える。
実際、1000日もパソコンの前で日記を更新し続けたのだという事実を前にすると、なんつーか、もう曖昧な顔して笑うしかないんだけど、ま、それでいいんだと思う。これが私だ。
そして、こうやって日記を書く作業はきっと、向こう岸にいる999人の自分に向かって、1000人めの自分が舟を漕いで向かっていくようなものなのだと思う。

そして、
1000回の更新をする間、私はその何倍もの、いろんな人の書いた日記を読んだ。
誰かの日記を「読む」ということは、その言葉が、いまここにいる私の一部になるということでもある。それは、ディスプレイの前で声だして笑うことだったり、スーパーで買い物するときに、誰かの書いてたレシピを思いだすことだったり、この感じはきっと、あの人のいってたあの感じ、とわけもなく信じたくなることだったり、やりとりはしたことなくても、日記を読みながら、おーい、と声をかけたくなるようなことだったり、する。
そんなふうに、この日記も、どっかの誰かの一部に、なってたらいいなあ、とか、おこがましくも願ったりしつつ、私は今日もこうして日記を書いています。
オンラインとかオフラインとかね、よくわからないけども、でも、そういう、うっすらとした繋がりみたいなものを、わたしはけっこう大切に思っていて、
いちばん最初にみつけた、アンテナからのリンク元とか、いただいたブクマとかコメントとか、すごく嬉しかったの、今でもよく覚えてる。

ありがとう!

私は、続くものの中には、少なからず、本当のことがあると思っています。だからいま、ここに降り積もった1000回ぶんの自分を代表して書いときたいのは、
私は、日記を書くのが好きだ、ということです。
そして私は、日記を読むこともまた、大好きだ、ってこと。
いまも続いている人はもちろん、やめちゃった人も、どこいったかわからない人も、まだ書いてない人もね。気が向いたらでいいから、書いて欲しいなと思っています。
そして、キーボードに手をのばすときのこの感じ、ちょっとわくわくするような、自分の輪郭をたどるような、どこか切実な気持ちで、
大きく手を振っています。
向こう側に、手を振りかえしてくれる誰かがいることを信じて。
おーい!