「勝手にふるえてろ」/アンモナイトを抱えて沈む

監督:大九明子

《内容に触れています》

なんとなく、好きな映画だろうなと思って見に行って、やっぱり好きだったわって笑いながら見てて、でもちょっと背中がざわざわして、
主人公、ヨシカが「あぁぁぁ」ってなる場面でびゃって涙が出て以降、しゃくりあげないようにするのが難しいくらいずっと泣いていた。マスクをしたまま見ていたのだけど、マスクがびしょぬれになって、映画館出てすぐに新しいマスクを買ったし、翌朝は目が腫れていた。好きとか嫌いとかじゃなく、こんな風に殴られた映画は、ちょっと久しぶりかもしれないなと思う。私の中では「マグノリア*1ブルーバレンタイン*2「犬猫」*3などと同じ箱に入る映画、でした。

私が「勝手にふるえてろ」の何にそんなに殴られたのかというと、自分もまた、ヨシカのように、自分の中のお気に入りの思い出を、できるだけ鮮明に思い出すという作業に勤しんでいたことがあるからです。もう随分昔のことだけど、ゴポゴポと沈んでいく感じは身に覚えがありすぎて、やっぱりそれみんなやるんだな! と思った。アンモナイトはその重石。

ヨシカにとっての「潜りたい思い出」は、学生時代に片思いをしていた「イチ」との思い出だ。
他人から見れば些細な、二言三言の会話を、まるで運命のように大切にして繰り返し潜り続けて、10年が経っている。
そんな静止画像のような10年が、ヨシカが「ニ」と名付けている男性から、告白されることで再び動き出す。簡単にいえば「調子にのった」ヨシカは今の自分ならイチと関係性を築けるのではないかと、いろいろとやばい画策した末、ついに彼と2人で会話する時間を手に入れるんですよね。
でもね、ヨシカがずっっと大事にしてきたその「世界」はガラス越しで、向こう側から見たら大したものではなかった。
海だと思っていた水槽にヒビが入り、ヨシカはもうあそこには潜れなくなってしまう。
その「世界」との決別の朝が、最高に最高に最高に切なくて苦しくてしんどくて美しくて最高に好きでした。

私の10年は無駄じゃねえぞバーカ!って私も思ったことある。
でもいつか、そこに潜らなくても生きていける自分に気づく日が来る。その思い出にすがることを自らのアイデンティティにしていたのに(&そのことを指摘されそうになるたび他人を威嚇してきたのに)、時間が解決するなんて都市伝説だと思っていたのに、まるで水に落とした角砂糖のように、消えてしまったものは戻らないんです。
目が醒めてよかったね、不毛な片思いに見切りをつけて、現実のコミュニケーションをできるチャンスに恵まれてよかったねって人は言う。たぶん。その方が人生だもんねというのもきっと正解だ。
でももう二度と、イチを思い続けていたあの熱は戻らないのだということが私は寂しかった。
できることなら、ヨシカにはイチを好きだったことを後悔してほしくないなと思う。たとえ滑稽でも不毛でも、好きのエネルギーがあったからこそ生きられた時間というのもあるはずだ。
いびつかもしれないしどちらかといえば崇拝に近かったその感情は、でも誰かに笑われていいようなものではないはずだし、ヨシカにはその上に立って新しい、ガラス越しではない世界を手に入れて欲しいなと思います。

ヨシカには色々と問題もあるんだけど、とりあえず就職してたことと、くるみちゃんが夢じゃなくてよかったなと思いました。
「二」とうまくいくかはさておき、ヨシカがくるみちゃんにちゃんと謝って仲直りできるように、と願っています。

終盤のヨシカのブチギレについては責められても仕方なしとは思うけど、自分が一番気にしてて秘密にしてねって言ってたことをバラされたときに「ハァーーー??」ってなるのはわかる。けれど、くるみちゃんがそれをよかれと思って「二」に言ったのもわかる(いきなりラブホとかやめてよねっていう釘さしだと思うし)。なので、ちゃんと腹を割って話して、2人には仲直りしてほしいです。

あの世とこの世の間みたいな、お昼寝シーンがとても好きでした。

勝手にふるえてろ (文春文庫)

勝手にふるえてろ (文春文庫)