13年ぶりのRADIOHEAD

RADIOHEADが13年ぶりにSUMMER SONICに来る、という話を聞いて、行こうと思ったものの、ぐずぐずとチケットをとらないでいた。
13年前にサマソニで見て以降も、たぶんフジロック以外の来日には1公演ずつではあるけど行っていて、でもだんだんと、自分とRADIOHEADの音楽の間に距離が開きつつあるのは感じていた。
新譜がでるたびに、すごいと思いつつ、それが自分にとってかけがえのないアルバムかと問われればそうではなく、
それでもかつて自分にとって唯一無二であったバンドがまだ活動し続けてくれているということは間違いなく嬉しいことだった。

13年前に一緒にサマソニへ行った友人とは、今や年に1度連絡をとるかどうかで、もう何年も顔を合わせていない。
随分遠くに来てしまったけれど、私にはまだRADIOHEADがいる、という気持ちがあった。

そんなわけで、ちょうどひと月前くらいに連絡をくれた友人とサマソニの話になったのをきっかけに、思い切ってチケットをとった。

既にその日は別のイベントを入れてしまったので、幕張に着いたのは15時頃。夕方から参加だなんて贅沢だなと思いながら、ビールだけ買ってメッセには寄らずにマリンスタジアムへ向かい、再結成したばかりのTHE YELLOW MONKEYからスタンド席で見ることにする。
THE YELLOW MONKEYのライブは熱心なファンではない自分でも知っている曲ばかりのフェス仕様で大変楽しかったし、丁寧で誠実な演奏だと思った。続いて見ることができたサカナクションも、これまた知っている曲の多いセットリストで、人気があるのがわかるな、という、うまくいえないけれど、自信に満ちた演奏だと感じた。

そして19時前。日の暮れた会場はRADIOHEADを待つ人でアリーナ後方まで埋まり、スタンド席も見渡す限り空きはないように見えた。
そんな期待に膨らんだ空気の中、私の正直な気持ちは、あの新譜の曲をライブで演奏してこの期待に満ちた空気はどうなってしまうんだろう、という心配が8割だったと思う。
それは現在の私が熱心なファンではないからだ、と言われてしまえばその通りだ。
そんな薄情者の意見で申し訳ないけれど、正直に言って「A MOON SHAPED POOL」には、スタジアムライブで聴くのに適した楽曲はほぼないのではないかと私は思っていた。


予想通り、ライブ冒頭は「A MOON SHAPED POOL」からの楽曲を立て続けに5曲、でスタートした。
あの曲をこんな風に演奏するのか、という驚きはあれど、音の拡散するスタジアムという環境で聞くにはかなりの集中力を要するし、踊れる、というわけでもないので混雑していたアリーナで見ていた人たちの中には、しんどい、と思った人も多いんじゃないかと思います。どうですかね。

それでも、私は彼らの演奏が、私が熱心に追いかけていた頃と変わらないことに感動していた。

私がRadioheadの音楽を信頼している理由を、一番私自身が避けたいと思っている言葉で現すならば、たぶんトム・ヨークという感情を乗せた、非常に性能の良いマシンのようなその「Radiohead」というバンドの構成にあります。だからこそ、そこで語られていることが何であれ、その職人のような音の作り上げ方にあっけなく感動してしまうのだと思う。つまり、トム・ヨークのドラマチックな声を限りなく生かすその音とともに聞こえてくる音楽は、聴くものの中にある何かを映すものなんじゃないかと思うのです。
http://ichinics.hatenadiary.com/entry/20081010/p1

かつて日記にこのように書いたことがあるけれど、その印象は今も変わらなかった。
コリンは今もフィル(とサポートのもう1人のドラマー*1)に寄り添って複雑な楽曲のリズムを道しるべのように支え続け、エドは黙々とギターをはじめとした演奏と繊細なコーラスで支え、ジョニーは相変わらずの前傾姿勢であちこち動き回りながら、全ての曲にRADIOHEADにしかない色を添えていく(ちょっとギター音硬すぎなんじゃないかとも思いましたが、場所が悪かったのかもしれない)。
トムの歌声も衰えておらず、ただ以前よりも神経質さがなくなったような印象を受けました。歌うときによく見せていた、首を振る仕草はなくなっていた。

その後、旧作からの人気楽曲を交えながら、あくまでも「A MOON SHAPED POOL」を主軸にライブは続き、「IDIOTEQUE」で一幕が終わる。
あそこに集まった人々の何割くらいが熱心なファンなのかはわからないけれど、新譜を聞き込んでいたとしても、ある意味取り付く島の(ありそうで)ないライブだったのではないかと思う。


だからこそ、アンコールで出てきて1曲目。エド、トム、ジョニーがギターを持ってドラム前に集まり「Let Downだ!」となった瞬間の嬉しさったらなかった。
個人的に思いいれのある曲、というのもあるけれど、1幕がほぼテクノ(エレクトロニカ)的なアプローチであったのに対し、ギターが3本集う、というだけでなんだかぐっと来てしまう。このとき、私はつまり彼らにロックバンドであることを求めていたのだなと思った。
続く「Present Tense」は新譜からだけれどこれもギターが印象的な楽曲。
「NUDE」まで来ると、トムの声がライブ序盤よりよく出ていることに気付く。改めてこの声が好きなんだよな……とぐっときて、からの「CREEP」ですよ。

13年前のサマソニマリンスタジアムではCREEPをやった、ということが語り草になるほど、「CREEP」は10年以上もの間、ほとんど演奏されない楽曲でした。ドキュメンタリービデオ(ビデオ!)でも少し描かれていましたが、彼らにとっては苦い思い出もある曲のようですし、内容も内容なので、個人的に好きな楽曲ではあれど、ライブでやって欲しいと公言するのは憚られる曲だった。
13年ぶりのマリンスタジアムでそれをやった*2、というのは彼らなりのサービスなのだと思います。
場内も、これを待っていたのだという様相で大いに盛り上がり、全編通して合唱に包まれる。私だってもちろん歌詞暗記してるくらい大好きな曲ですよ。
歌も、演奏も、メロディも、最高の曲だと思う。
しかし「俺はウジ虫」という歌詞をこれだけの大人数で合唱するというのは一種異様でもありますし、その部分で身をよじり、ムカデのような仕草をしてみせる(脇をしめて指をうねらせる)トムを見て、少し切なく、同時に丸くなったな、と思いました。
(個人的には「CREEP」じゃなく「JUST」や「My Iron Lung」でも同様の盛り上がりは得られる気がするんだけどアリーナが危ないかな…。)
そんな複雑な気持ちで見ていたからか、「CREEP」で終わってたまるかというようにすかさずギターを持ち「BODYSNATCHERS」(「In Rainbows」で一番好き!)がはじまった瞬間、よっしゃーとガッツポーズをしたい気持ちになりました。
そして、ラストを締めくくったのは、たぶん私が今までに見たRADIOHEADのライブで最も多く演奏された、そしてあんまり好きじゃなかった「STREET SPIRIT」でした。
名曲揃いの「THE BENDS」から、なんでこればっかりやるんだろうな、ってずっと思ってたんですよね。でも新譜と合わせて聞くと、この曲こそが、今のRADIOHEADの原点なんじゃないかな、と感じられて、なんだいい曲じゃないかと思うことができた。ようやく、今更。

曲を聴くと、その曲を熱心に聴いていた頃の光景が蘇ってくるということはよくあって、だから今RADIOHEADのライブを見たら、自分はどうなってしまうんだろうと、ライブの前はけっこう緊張していた。
でも、この日のライブを私は懐かしく、同時にとても新鮮な気持ちで見ることができて、
彼らが今もRADIOHEADで居続けてくれているということに、改めて感謝したい気持ちになりました。
彼らの音楽は、私の好む種類のものとは変わりつつあるということはもう随分前にわかっていた。
それでも、私はやはりRADIOHEADというバンドが好きなのだと思う。
行ってよかった。

そしてまた、ライブを見ることができますように。

*1:以前はポーティスヘッドのサポートも勤めていたクレイヴ・ディーマーさんがサポートに入っていましたが今回も同様なのかはわからず

*2:今年はパリなどでも演奏しているので、この曲に対する気持ちが変化したというのもあるのかもしれないけれど

夢中になると頭の中がそれ一色、になりやすいのは子どもの頃からの癖のようなもので、日記をはじめとした文章を書くのが好きなのも、そのガス抜きのような意味合いが強い。なので仕事以外で書くものについては自分にしかわからなような書き方をしがちなことも多く、誰かに読まれるということを二の次にしている自覚はあったのだけど、
つい先日、昔書いた文章への長い感想メールを頂いて、自分でもびっくりするくらい、とてもとても嬉しかった。

思えば今年の誕生日も、PCに向かって文章を書いているうちに0時を回っていて、何やってるんだかと突っ込むのもまた自分だし、物事に意味を求めすぎるのも好みではないものの、やはり少々、わが身を振り返って反省するところがあった。
穴のあいた桶に水を注ぎ続けているようなキリのなさというか、それよりもまず穴を塞ぐことを考えたほうがいいのではとか、あれこれ考えつつも、やはり自分は続けることが好きだと思ったりもした。

それは別に私についての文章ではなかった。
私の好きな人と、好きな人についての話で、それでもいただいたメールには「あなたの日々が、そのような、幸せな日々でありますように」と結ばれていた。
書いたものをどう受け取られるかは読む人の自由だと思うし、だからその言葉を読んで多少複雑な気分にはなったものの、私が憧れたような光景を、私自身に重ねてくれる人がいるということが、やはり嬉しい、と思った。
そうやって自分の書いたものが、どこかの誰かに届く機会をくれたインターネットに感謝しつつ、その気持ちを忘れないように日記を書いておく。

旅行

まだ大学生の頃、二度目の個人旅行でタイを回って、すっかり感化されてしまった私は、帰国してからもしばらく興奮状態で、当時付き合っていた彼に海外旅行の素晴らしさについて語ったりしていた。
今になって思うと、すでに社会人として働いていた彼には、まだ学生だった私の発言は随分暢気で、生意気なものに聞こえただろう。
そのことが直接の原因というわけではないが、結果的に、彼とはその数ヶ月後に別れることになった。
私は当時そのことを、なぜなのかわからないままにとても後悔して、次に控えていた旅行をキャンセルしたりもしたのだけど、
今日のような、梅雨明けのむわっとした空気をかきわけて歩く日には、その10日間程度のタイ旅行のことが繰り返し体感として思い出され、苦い思い出はあれど、やはり時間に融通の利く学生のうちにたくさん旅行をしておいたのはよかったなと、今は素直に思う。

タイについて数日後、バンコクの安宿街でチェンマイに向かうバスを予約した。
近くにあった寺の境内でバスを待っていると、集まってきた乗り合い客の半数以上は欧米人だった。実際、その安宿街のテラスで酒を飲んでいるのは、たいていが欧米人で、一度相席をしたフランス人の男性に、なにしろ夏休みが90日あるからね、と言われてからずっと、私はフランスの夏休みに憧れを抱いている。

深夜に発車したバスは満員で、身体が大きく座席に座りきれなかった男性が通路に横になるのを見て、隣同士に座った私と友人は、身体が小さくてよかったねと言い合った。
明け方、たぶんバスがパンクして、雑然と赤と青の椅子が並べられているだけのPAで何時間も待たされることになった。そこはフードコートのようだったが店はひとつも開いていなくて、私たちはひたすら、バスを囲んであれこれ言い合う運転手達を見ているしかなかった。
不安気な顔をしていたのだろう私たちに、近くに座っていたドイツ人の女性がクイズを出してくれた。細かな内容は忘れてしまったけれど、とても聞き取りやすい英語だったのは覚えている。

やっとバスが動きだし、宿についた私は真っ先に日本へ電話をかけた。
電話はとられることなく、しばらく発信音を聴いて、切った。

季節の変わり目などのふとした瞬間に、ここではないどこかの、
例えばその朝の、砂でざらざらした床と、白っぽく霞んだ空、今何が起きているのかいまいちわからないままに、数時間待ち続けた心細さを思い出すと、
もしかすると本当はいまもあのPAで、バスが動くのを待っているんじゃないかという気分になったりもする。

旅行というのはそうやって、自分を千切って、あちこちに置いてくる作業なのかもしれない。
例えば挿したレゾネーターを、遠くから見守るみたいに。

「シングストリート 未来へのうた」

「はじまりのうた」のジョン・カーニー監督最新作「シング・ストリート」を、閉館間近のシネクイントで見ました。
音楽をテーマにした作品を撮り続けている監督ですが、今回の「シング・ストリート」は監督の半自伝的な作品とのこと。
これが本当にすばらしかった。

物語は、父親の失業をきっかけに主人公のコナーが転校を余儀なくされるところからはじまる。
80年代のアイルランドを舞台に、当時の社会状況や、両親の不仲、荒んだ学校と理不尽な教師……などなど、コナーの身の上にはしんどいことが次々と降りかかるのだけど、幸い彼には状況を共にやり過ごすことのできる兄妹がいて、音楽好きの兄とTVの前に陣取って音楽番組を見るのを楽しみにしたりしている。
そんなある日、コナーは学校の傍で見かけた素敵な女の子を振り向かせるために「僕のバンドのミュージックビデオに出ない?」とナンパするのだ。
ちょうど時代的にも音楽のプロモーションにミュージックビデオを制作するというのが流行り始めていた頃ということで、モデルを夢見ている彼女も興味を示してくれる。
そこでバンド仲間を集めて曲作りを始める、というところで物語が走り出す。

ここでうまいなー! と思ったのは、憧れの女の子を振り向かせたい、という熱がうまい具合に音楽に反映されていくところ。彼女の何気ない言葉から、物語を掴んで音にしていくんですよね。恋すること、何かに近づきたいと願うことは、原動力になるのだということが、鮮やかに伝わってくる。
バンド仲間も魅力たっぷりで、個人的にはもっと奴らとの絡みをみたいなとも思ったのですが、そこは最初はへたくそだった演奏がどんどんブラッシュアップされていく過程を描くことで表現されていたとも思います。特に音楽的相方になるエイモン(コリー・フェルドマンにちょっと似てた)が最高だったな。

しかし私がこの映画を見ていてたまらない気持ちになったのは、何よりお兄ちゃんとの関係についてでした。
主人公の兄はレコードをたくさん持っていて、コナーが「バンドはじめたんだけどさ~」と言えば「ロックとはリスクをとることだ!」っておすすめレコードを出してきてくれたりする。(そしてファッションごと影響を受けまくるバンドメンバー達)
つまり主人公にとっては憧れの存在なわけですね。
でも同時に、両親の不仲に振り回される、子ども同士でもある。
次々と新曲を制作する主人公のキラキラとした様子は、半ば引きこもっている兄にとっては眩しく、うらやましいものでもあったんじゃないでしょうか。

自分も弟が2人と妹がいるんですが、うちは父がかなり変わり者で、思春期の頃は衝突することも多々あり、そういうときに兄弟がいるってすごい心強いことだったんですよね。
私は長女なので、自分が好きな漫画や映画や音楽を弟や妹が好きになってくれることも多くて、そいうのを嬉しくも、誇らしくも思ったりしてた。
だからこそ、弟の何気ない一言にキレてしまう兄の言葉は痛かった。私もああいうこと、思ったことがある。

そこからは、あんなに自分を(という気分だった)慕ってくれていた弟との関係が壊れてしまうのかな、とハラハラした気持ちで見ていたのですが、
続くコナー視点の妄想のMVシーンが本当にすばらしくてね……。
あくまでもストーリー上は恋する彼女が来てくれるかどうか、ってところなんだけど、そこでのお兄ちゃんの描かれ方に、ああやっぱりコナーにとってお兄ちゃんはヒーローなんだなということが伝わってきて、胸が詰まりました。

物語はコナーの恋物語にはじまり、未来へと踏み出したところで幕を閉じる。
けれど、ラストシーンでは完全に「見送る側」に感情移入していた私にとって、
エンドロールの最初に出てくる一文が
「すべての兄弟たちに捧ぐ」
だったことが、何より最高でした。

出てくる音楽も本当にすばらしかった。
デュラン・デュランやCURE、ホール&オーツなど、彼らが影響を受ける音楽が提示され、それを吸収してオリジナルの楽曲を制作していく、というのが音でしっかり伝わってくる。
そしてどんなアイデアも、とにかくやってみよう!ってなるのがすごくよかったです。
見終わって即サントラも買い、今は毎日聞いています(特に好きなのは「Girls」です)。

余談ですが、80年代の少女漫画には、この映画でコナー君がしてるようなファッションをしているキャラクターがたくさんでてくるよな、なんてことを考えていて(枠外コーナーとかにCUREやエコバニ好きとか書いてあったりしたような)当時のブームってほんとすごかったんだろうな〜ということを思ったりしました。


そんなわけで、私にとって「シング・ストリート」は最高のバンド映画かつ、最高の兄弟映画でした。
間違いなく今年のベスト3に入ると思う。おすすめです!

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2016年の空想科学映画「シン・ゴジラ」

最高でした。
こんなゴジラ映画が見たかったんだよーと思うゴジラ映画だったし、こんな庵野監督作品が見たかったよ!と思う庵野映画だった。

庵野監督が樋口真嗣監督と組んでゴジラの新作映画を撮る、という話を知ったのは昨年の4月1日のことで、日付からいって一瞬エイプリルフールなのでは、と思ったりはしたものの素直に楽しみだなと思ったのは、2人の監督が特撮映画の大ファンだということを知っていたのはもちろん、「特撮博物館」で見た「巨神兵東京に現わる」のメイキングがとても印象に残っていたからでした。
ビルが壊れるシーンひとつに気が遠くなるような繊細な仕掛けがあり、撮影後に再生して皆で「これだよなあ」と笑顔を漏らす。
適材適所で最大限の創意工夫を凝らす職人の集まりにぐっときて、ことあるごとに思い出している映像なのですが、このシン・ゴジラは、物語的にも、映画制作側のスタンスとしても、その印象と重なるところがありました。

ゴジラ映画を制作するにあたって、製作発表時の庵野監督はこのように語っています。

ゴジラが存在する空想科学の世界は、夢や願望だけでなく現実のカリカチュア、風刺や鏡像でもあります。現在の日本でそれを描くと言う無謀な試みでもあります。

そして今この言葉を見ると、まさしく「シン・ゴジラ」は2016年の空想科学映画であったと感じます。
2016年にゴジラが現れたとして、人間はどう立ち向かえるのか。そういう映画だった。

制作陣の歴代ゴジラ映画への敬意をこれでもかというほどに感じる作品でありつつ、けしてゴジラファンだけに向けられた映画ではなく、初めてゴジラ映画を見る人も存分に楽しめる作品だと思います。
あと、庵野監督のエヴァシリーズが好きな人で「なんで新作先延ばしにしてゴジラなんだよー」と思った方には、ぜひ劇場でウォッチして欲しい。全力でおすすめします。
できるだけ大きなスクリーンで見るのがいいと思う!


【以下内容に触れますので注意】

いきなり始まってるし、事件の只中に止まったりしない。だるい会議のシーンを描くのにもテンポがよく、だからこそずっと緊張感が続く。
映画を見てる側はゴジラが現れることは知っているわけですよね。だから、楽観してる人々の下りをだらだら描いていらいらさせたりはせず、むしろ楽観が裏切られるシーンを重ねていくことで緊張感は保つという盛り上げ方はとても気持ちが良かった。

それからこれは映画「火星の人」を見たときにも感じたのですが、恐怖や絶望に立ち向かう人々を描くのに、人が泣き叫んだり慟哭したり、愛に目覚めたりする場面を使わず、ただ自分に与えられた職務に邁進する様子が描かれるのもとてもよかった。
愛に目覚めるのが悪いわけではないし、物語の登場人物の中にはそういう人もいたと思う。ただ、ゴジラという圧倒的なものに、個体としては弱い人間がどう立ち向かうかというお話を描く上で慟哭や愛の目覚めはどうしても物語の速度を緩めるし(30秒で脱出しなきゃいけないのに今キスする!?みたいなことはよくある)、この「シン・ゴジラ」はリアリティと速度を非常に大切にしている映画だったと思います。

例えば、役者の顔を見せるために防護服を脱いでたりはしないわけですよ。でもどれが誰だかすぐわかる。役者さんの使い方もとてもうまかったなと思います。
抑え目の演技が続く中、唯一、石原さとみさんだけが場の雰囲気を壊すキャラとして配置されていましたが、あれは何というか、ミサトさんだな…!と思いながら見てました。私はとてもよかったと思います。ヴンダー!というミサトさんとガッジーラという石原さとみさんが重なりました。
とにかく誰か1人が英雄になるわけではなく、適材適所で知恵をしぼり行動をすることでゴジラに現実的に立ち向かうというのがとても熱かった。たぶん「いやこれは現実的じゃないでしょ」という推敲を気が遠くなるほど重ねた上での脚本なんだろうな。最高だ。

メインは政府の人間なので、一般市民の台詞はほとんどないのだけど、例えば、人のいない家電量販店のテレビ売り場に1人残された店員が、テレビの報道に目を奪われている最中に停電する、という場面の絶望感などは非常に印象的だったし、
もちろん携帯カメラで撮影を続ける市民、のようなシーンもありつつ、一般市民を愚かなモブとして描いてないところもとてもよかった。

ゴジラについては第一形態の、これは何だろう…? というところからの、え、まさかこれがゴジラなの!?という新鮮な驚き。予告で見せてたのと明らかにサイズが異なることからの先の不安、という伏線の作り方にやられたなと思いました。
個人的に何より嬉しかったのは、ゴジラとは「畏れ」である……とかいいたくなるシーンでばっちりゴジラのテーマがかかるところです。
パンフレットで、今回音楽を担当された鷺巣詩郎さんが、シン・ゴジラの音楽を担当するにあたってシリーズを見返して「ゴジラ映画である以上、伊福部音楽からは逃れられない」と語られているのが載っていて、ほんとそうだよなと頷きまくりました。怪獣大進撃のマーチもかかるよ!


ゴジラ映画は上の弟が大好きで子どもの頃よくビデオで見ていた…というくらいの知識なので、曖昧な部分もあるのですが、ゴジラ映画といえば、ゴジラと何らかの怪獣が戦う、というものが多いと思います。でも、今回のゴジラは基本戦ってはいません。人間がゴジラという脅威に立ち向かうお話です。そういう意味で画像のコピーにある「ニッポンVSゴジラ」という言葉は正しいし、第一作の「ゴジラ」に最も近い作品だと思う(検索してみると最初の上陸地も初代と同じ品川のようです)。
そういう意味で今回最も滾ったのはゴジラが街を破壊するシーンよりも、最後の「ヤシオリ作戦」でした。
作戦名からいっても「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の「ヤシマ作戦」を思い出す人が多いのではないかと思いますが、作品全体の印象としても個人的には破に近いと感じた。
中でもヴッと声が出てしまったのは東京駅付近でゴジラを足止めするための新幹線爆弾からの無人在来線爆弾ですよ…。あれは鉄道ファンの人の感想を聞いてみたい。あれ思いついたのすごいな…。

そして、そもそもゴジラ映画は「当時社会問題となっていたビキニ環礁の核実験に着想を得て製作」されたもので、今回の映画ではそこが海中に投棄された投棄放射性廃棄物によって産まれたという設定になっています。3.11を経た現代の日本でそのテーマを描くというのはとても難しいことだと思いますが、その点についても監督の覚悟を感じる映画でした。


等々、見所はたくさんあるのですが、情報量が多くて把握しきれてないところもあるのでまた映画館で見たい
本当に面白かった!!!

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