最小限の生活

「最近読んだ本」の話題になったとき「何を読んだっけ」と振り返るための資料がないことに気がつき、今年は読書記録をつけることを目標に決めた。
補助的にアプリにも記録をつけはじめた。今月は何冊読んだ、というようなことがグラフで提示されるので、このペースだと、生きているうちに読めるのはあと何冊くらい…そもそも何歳まで生きるつもりか…なんてことを考え出してしまってちょっと怖い。



先日、ついに勤め先でも新型コロナウイルスの社内感染があり、しばらく在宅勤務が続いた時があった。週の半分は在宅勤務をする生活になって2年近くが経つけれど、3日以上続くのは初めてで、自分の最小限の生活というのが可視化されたように感じた。
料理、食事、文鳥と遊ぶ、掃除、洗濯、買い物と運動、読書、映画に植物の世話
仕事以外はだいたいこのくらいの出来事で構成されていて、早めの余生みたいだなと思う。

「いまのうちに」何かしなければという気分は定期的に襲ってくる。
時間はあるのに、何もできていないような気がして、そのことに罪悪感を覚える。
一時停止のまま数年放置され、すでにテープは伸びきってしまっているのではないか…などと不安になりつつ、そういったもやもやを少し脇においやり、とりあえず料理をしたり、食事をしたり、仕事をしたりする。



そんなコロナ禍において、文鳥は私の生活リズムを整え、なおかつ最も好奇心をそそる存在として寄り添ってくれている。
ソファに寄りかかって本を読んでいるとき、文鳥は大抵肩の上で丸くなって眠っている。もしくは私の髪の毛を羽繕いしてくれている。たまにページをめくる手を威嚇する。
物語に泣いていると、その涙を飲もうと首を伸ばすので笑ってしまう。
戦時下に拾われたスズメとの生活を描いた「ある小さなスズメの記録」を読み終えた時もそうだった。いつかこの本のことを思い出すとき、首元の温もりもまた蘇るのならば、とても嬉しいことだ。


2021年の映画ベスト10

昨年のような映画館の休止はあまりなかったものの、それでも営業時間の制限などが続いた時期もあり、昨年に引き続き、劇場でより家での方が多く映画を見た年でした。
しかし昨年はオンライン開催だった友人たちと毎年恒例担っている映画ランキング会を対面でできたのは嬉しかったです。

10位 最後の決闘裁判


認知の歪みについての映画で、見ててしんどいんだけど、今更ながらリドリー・スコットってめちゃくちゃ偉大な監督なんだなと思った作品。過去作で見てないのも追って履修していきたいと思います。ベスト10のうち、これだけ配信で鑑賞。

9位 DUNE


続編を見ないとなんとも言えない部分が多い映画ではあるんだけど、自分にとってはとても気持ちよかった映画なのでベストにはあげたい、という気持ちがある。自分がSF小説を読んでいるときに思い浮かべる場面がより鮮明に映像になっているという感動がありました。

8位 街の上で


友人のおすすめで友人とみた映画。とにかく楽しかったし、自分も下北沢で働いていた期間があるので、そういう意味でも親近感を覚えた。

7位 プロミシング・ヤング・ウーマン


ラストは悲しいので、もっとなんかこう、と思わないでもないけれど、これが彼女の選んだ方法なのだという腑に落ち方はするという意味でフェアな映画だと思う。展開も面白い。

6位 エターナルズ


好き嫌いの分かれる映画だとは思うんですが、個人的にはちょうど良い余白の残し方がたまらず、見た後もキャラたちのことをあれこれ考えるのが楽しかった、という体験込みでとても気に入りました。個人的にノマドランドはあまりしっくり来なかったんですが、エターナルズでは監督と同世代であることを強く感じた。

5位 偶然と想像


2021年最後の映画館鑑賞。会話劇としても楽しかったし、個人的な体験を喚起する部分も多くとても印象に残った。特に3本目、今は疎遠になってしまった中学時代のあの子や、大学時代の彼女を思い出し、今はどうしてるんだろう、こんな風に偶然に会うことができたなら伝えたいことが私にもある、というたまらない気持ちになりました。それから「ドライヴ・マイ・カー」だけでなく、監督と村上春樹には語り口に通じる要素があるのかもしれないということも感じた。とは言え村上春樹だったら1話目の視点はカズになり、2話目については教授になるのかなと思うのですが…。
濱口監督作品の今後がとても楽しみです。

4位 シャン・チー


香港映画を見て育った勢としてとにかく楽しくて、見てる間ずっと嬉しかった。トニー・レオンMCUに引っ張ってきた人ありがとう。

3位 劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト


多分今年唯一複数回映画館に行った映画。自らの才能に向き合うことの物語であり大場なな…。この言葉を使うのは安易ではあるけど、ウテナが好きならいけると思うので見てください。アマゾンプライムでレンタルが始まったことですし。

2位 アメリカン・ユートピア


音楽の素晴らしさはもちろん、デヴィット・バーンのような大人になりたい、と憧れてしまうような映画だった。映画館に自分より年上の人がたくさんいたのも良かった。音楽が好きな母親に駄目元で進めたところ、見に行ってくれたのも嬉しかった。
悪夢と「アメリカン・ユートピア」 - イチニクス遊覧日記

1位 すばらしき世界


主人公の三上は現実に接点を持つことがあればまず関わり合いになることを避けてしまうタイプの人ではあるのだけど、誠実ではありたい、この人のように、と思う人が幾人も出てくる点で救いとなるような映画だった。
私は映画を見た後にラストシーンを忘れがちなんですがこの映画のラストシーンはずっと忘れないと思った。

12月の第2週

夏ぶりの友人に会った。
前に会ったのは生まれて初めてノンアルビールをお代わりした日だった。
つまりアルコール提供が完全に止まっていた期間のことで、今思い出してもなんだか白昼夢のようだ。閉店時間も早かったため、店を出た後に行く場所もなく、ハーフタイムで終了してしまったような夕方、次に会う時はフルタイムでやりましょうというような別れ方をした。
そんなわけで、今回は料理にあわせて日本酒をどんどん出してもらった。
外食は楽しい。どんな味がするかわからないものを食べられるのは嬉しい、ということをしみじみと噛み締めた夜だった。

そこで、コロナ禍ではそんなに日記に書くことがない、というようなことを話した記憶がある。私が代わり映えのない日常を送っているせいでもある…とはいえ文鳥のことならいくらでもかけそうではあるのだけど、
先日も母親に、最近どう、と聞かれて真っ先にでたのが最近通い始めた歯医者が良い感じで嬉しい、ということだった。
常々、歯医者と美容院はかなり相性に左右される部分があると感じており、特に歯医者は口コミで判断し辛い分野なので、かなり及び腰で向かったのだけど、
少々説明が長い(丁寧ともいう)ものの、頼んだ処置は素早く仕上がりもよく、気分があがってつい、1本だけ残っていた親知らずを抜くことに決めた。3本あって、20代の頃に2本抜いたのだけど、術後の歯茎に穴の空いた状態が不快で、そのまま最後の1本を放置していたのだ。
年末年始は色々と食べたいものがあるので(といったら笑っていた)抜くのは来年で…、ということになり、2回目にはクリーニングを入れてもらった。
クリーニングは結構苦手なターンなのだけど、終わったらキンパを食べるんだ…ということを考えて乗り切った。

というのも近所の飲食店街に新しく韓国料理店ができたのだ。
看板が出た時から楽しみにしていて、すぐにTwitterアカウントも見つけた。まだフォロワーが3人とかだったのでフォローはしづらく、ブックマークだけしてupされたメニューを読み込んだ。
そして無事クリーニングを終えた私は、いかにも通りかかったというテイで店に入った。扉を開けた瞬間の、店員さんの感じのよさにいきなり好感度が高まる。小さな店内はそこそこに混み合っていて、長く続いてくれるといいなと思いつつテイクアウトで念願のキンパを注文した。
キッチンから「ノーマル?」という声がかかり、種類があるのかとメニューを見せてもらってあらためて肉のキンパを頼む。店内からこっちもキンパという声がかかってなんだか嬉しい。
うけとったビニール袋の中、キンパはおいしそうに鎮座している。

そうして帰宅して、文鳥としばらく遊び、寝かせてからキンパを食べる。これが私の2021年の暮れである。

大豆ざんまい

袋状の油揚げに納豆を詰めて焼いたものが好きだ。フライパンでじりじりと焼き、最後に醤油をまわしかけた時の香ばしい匂いは最高に食欲をそそる。なんという料理なのか知らないし、実家では食べたことはないので、たぶん居酒屋などで食べて覚えたのだろう。
私はそれをかなりの頻度で作る。油揚げ、納豆、醤油どれも大好きだし見事な大豆被りで、大豆の万能さに驚くばかりだ。
そして文鳥の名前もソイ(ソース/お醤油)だ。

最近のソイについて、これは…もしや…意思の疎通が取れているんじゃないか…?と思うことがある、と言ったら「意思の疎通は双方向なのでは?」と言われ、それとはちょっと違うのだけど、「なんとなくわかる」の範囲が広がってきたような気がする。
相変わらず怖がりなので手に乗せた状態で部屋を移動するだけでぎゅっと足をふんばるのもかわいい。Switchが嫌いなのだけど、やりかけだったSwitchをクッションの下に隠した状態で放鳥したら「そこになんか嫌なものがある気がする」という感じで顔をいろんな角度に傾けながら確認しているのもかわいい。頰によりそうように肩にとまっていたとき、私が首を傾ける方向を変えるとトトッと反対の肩へ移動し寄り添いなおすのもかわいい。
そういった行動について「ああSwitchを気にしてるんだな」とか「慣れてない場所がやなんだな」とかわかるようになった感じだ。

近頃、地震が多いので、もし避難することになったらどうしようかということをよく考える。
夜中に強く揺れる時、カゴの中でパニックになり暴れている文鳥をなだめようと、暗いままの部屋で少し撫でることがある。ドラムロールのような速度で脈打つ心臓を手のひら越しに感じると、そんなに急がないで欲しいといつも思う。

文鳥が家に来たばかりの頃、小川洋子「不時着する流星たち」に収録されている「さあ、いい子だ、おいで」を読んで、(それは文鳥を飼い始めたものの、だんだんと疎ましくなってカバーをかけっぱなしにする飼い主の話なのだけど)、もし、万が一にでも自分がこれになったらどうしよう…と恐ろしくなった。
今のところ、その兆候はないものの、なるべく自分を信用せずに疑っていきたい。

そろそろ年末が近づいてきたので、引きこもり用の食材をあれこれ買い込むことを楽しみたいと思います。

散歩と2冊の小説

先日、1人で昭和記念公園に行った。
バードウォッチング用のエリアがあるらしいと知ってからずっと行きたいと思っていたのだけれど、新型コロナ感染症の影響で長らく閉まっていて、それが先日ようやく開いたのだ。

魔法瓶にコーヒーをいれ、鳥も見たいので双眼鏡も持ち、一番歩きやすい靴で公園へと向かう。最寄駅(立川)から公園まではそれほど遠くないのに、公園内に入ってから有料エリアの入口にたどり着くまでですでに10分くらいはかかっており、地図でもう一度その広大さを確認して1日で全部回るのは無理だなと早々に諦め、バードウォッチング用の小屋を目指すことにした。

思ったより遠いな、と3回くらい思ったあたりで「バードサンクチュアリ」という野鳥観察小屋に着いた。誰もいない。これなら見放題だ、と双眼鏡を構えてみること数分。
何も起こらない。鳴き声ひとつ聞こえなかった。
文鳥を飼い始めて以来、鳥類全般に興味を持つようになり、「とりぱん」を読んでは野鳥観察に憧れを募らせていたのだけれど、自然の多いところに行けば野鳥がみれるのではというのは、どうやら甘い考えだったようだ。
考えてみれば、家にいても、鳥の鳴き声がよく聞こえてくるのは朝と夕方だ。どちらかというと朝の方が多い。とりぱんを読んでたって朝が肝心なのはよくわかる。
ということは、こういった観察スポットだって、鳥が活動的な時間帯に訪れることが重要なのではないだろうか。
昼過ぎは遅すぎたのかも。でもせっかくだし……としばらく粘ったものの、鳴き声ひとつ聞こえず静まり返っているのでなくなく諦めることにした。
(追記:ひと月後に訪れた際は同じくらいの時間帯でもたくさんの野鳥を見ることができたので単に季節もしくは天気の問題だったのかもしれない)
少し歩いて池のほとりにあるベンチに腰を落ち着けた。
サーッと風が吹き、ススキのような、池から生えている背の高い植物が、おくれてゆったりと体を倒していく。
その向こう、けぶったような曇り空の下には、ぽつぽつとスワンボートが浮かぶという古ぼけたポストカードのような景色が広がっていた。池は向こう岸が見えないほど広い。
ずず、とコーヒーをすする音すら吸い込まれていくような静けさで、いいところだなと思った。
ベンチの背もたれも本を読むのにちょうどよい具合だ。膝頭に日差しが当たって暖かい。

この公園で働くのはどんな感じだろう。
津村記久子さんの「この世にたやすい仕事はない」という本を読んでから、大きな公園にいくたび、ここで働くのはどんな感じだろうと考える。
ふと、すぐそばのウッドデッキでウエディング衣装をきたカップルが写真撮影をしているのに気がついた。ざぁ、、っと風が吹いて植物が揺れるたび、白い衣装がよく見えて、レアな鳥を見つけた気分を少しだけ味わったような気分になれた。

写り込んでもなんだし、とベンチをあとにして、広大な池のまわりをぐるりと歩く。歩いていると、自分もこの公園の一部になってる感じがして、よいところだなとまた思った。

それからしばらくして、津村記久子さんとチョン・セランさんのオンラインイベントがあることを知って、参加した。そこでチョン・セランさんが「この世にたやすい仕事はない」の話をしていて、さらに津村さんが「フィフティ・ピープル」の話をしていて、
あの公園で私は「フィフティ・ピープル」を読んでいたんだよね、という日記を書いておこうと思ったのでした。