ブラックフライデーの買い物

在宅勤務が始まった頃から、ちょっといい椅子が欲しいなと思っていた。
なのに在宅勤務なんていつ終わるかわからないし…と先送りにし続け、ついに3年が経とうとしている今になって、ようやく買う決心をした。
きっかけは舞台配信を見ていて腰が痛くなったことなのだけど、そのように仕事をしていなくたってPCの前には座るのだから、多少お金をかけたって十分見返りのある買い物だろう。

そう勢いづいたところでブラックフライデーがやってきた。ブラックフライデーのことはよく知らないけれど、

  • 欲しいと思っていた椅子のメーカーのショップが楽天にあり
  • ブラックフライデーにあわせた楽天のセールでは買いまわりポイントアップをやっていた

ので、めずらしく念入りに買いまわりを行い、途中ネタ切れしたので友だちにもアドバイスをもらいつつ、1割引くらいのポイントに育ったところでついに念願のvertebra03を注文した。

発送は12月の半ばになるそうで、今から届くのが楽しみだ。

昨日は買いまわり品から本が届き、今朝は洗面所で使うつもりの収納用品が届いた。
購入したものがぱらぱらと届き、その果てに本命があるというのは、アドベントカレンダーのようで楽しい。
明日はナッツが届きます。


それからAmazonの方のブラックフライデーでEcho Show5も買いました。
安さにつられた衝動買いだけど、Alexaに話しかける系のデバイスを買うこと自体が初めてなので、今は「Alexa、明日の天気はどうですか」みたいな定番の質問をするだけで楽しい。

Siriに話しかけるのには早々に飽きたのに何が違うんだろう? 音声認識の精度かな。今のところほとんど聞き間違いがないのでストレスがなく、回答があると反射的に「ありがとう」と言いたくなる雰囲気がある。
ありがとう、といっても反応しないので、「Alexaありがとう」と言いなおす時には機械を感じるし、すきあらばUnlimitedを勧めてくるところにはAmazonを感じる。それでも、思ったよりAlexaの延長線上に「キャラクター」を想像できるのが面白い。
ちなみに文鳥はAlexaの声には無反応です。

「Alexa ルポールの曲かけて」と言ったらかけてくれた

11月18日/パフェとTwitter


有休をとったので、いつもより1時間遅く起きてミロを飲みながら放鳥。
予約をしたパフェに間に合うよう支度をして家を出る。
向かったのは西荻窪金木犀茶店というお店で、前回は入院中に予約し退院直後に来たのだった。その時は偶然友達も同じ時間に予約していて久しぶりに会えたのも嬉しかった。
あの日もそれなりに元気にはなってはいたけれど、今はもう手術部位の動かしづらさもほぼなくなっていて人体というものの頼り甲斐を感じる。

金木犀茶店のパフェは、いつもどこかに初めての味があって楽しい。素材を引き出す程度の甘みなのも、甘いものがそれほど得意ではない(量が食べられない)自分には嬉しい。
お店ではいつも90年代のクリエイションレーベルっぽい雰囲気のギターポップがかかっている。店主の方の好みなのかなと思っていたのだけど、食べながらふと英語がとても聞き取りやすいことに気づく。
ということはもしかしてこれアジアのバンドなのかも…と歌詞で検索してみたところ、中国のバンドだということがわかった。検索してみつけたyoutubeをブックマークしてお店を出る。

パフェの後、ひと月ぶりの病院へと向かう。
先月からしつこい肩こりに悩んでいて、最初は季節の変わり目だからとやり過ごしていたのだけれど、次第に焦燥感のようなものも出てきて、もしかして今の薬の副作用なのかもと思い至った。そこで、今飲んでる薬と合わせて飲まれることが多いという漢方を買ってみたところ、これがてきめんに効いた。ので、約2週間ほど飲み続けていた。
本来追加で薬を飲んだりするときは主治医に報告すべきなのだけれど、漢方に対してはそれほど積極的ではなさそうな雰囲気を勝手に感じていたため、ついにこの日まで連絡できずにいた。
なので少し気が重かったが、症状と漢方が効いた旨を説明するとあっさり「ではそれをだしましょう」と言ってくれたのでほっとする。
次は3か月後なので3か月分の薬をもらったのだが、受け取ったら漢方は箱ごとで笑ってしまった。写真をとって友達に見てもらう。

買収のニュース以降、Twitter関連の不穏なニュースが続いているけれど、この日は朝から「ついに近々機能停止に陥るのではないか」というような話題でもちきりになっていた。
せっかく買ったのだから完全になくなるというようなことは(少なくとも当分は)ないだろうけれど、何らかの障害が起きた際に対応する体制が整っていないという状況ではあるのだろうな、と思う。

コロナ禍におけるTwitterは、正直あまり居心地の良い場所ではなくなりつつあったような気がする。ただ、いざなくなるかも、と想像してみるとそれはそれでさびしい。
いろんな使い方があるとは思うけれど、私にとってのTwitterは「いろんな人が今日何をして、何を考えていたのか」というのを知れる場所であり、それはかつてはてなアンテナだった。
アンテナのスピードに戻るのも悪くないような気はするけれど、あの頃のように、毎日大量の日記が更新される時代はもう来ないような気もする。

夕方、金木犀茶店で知ったバンドorange oceanについてツイートする。
あの人に聞いてみて欲しいな、と思っていた方がいいねをしてくれていて、こういう嬉しさもTwitterのありがたみだなと思ったりした。

youtu.be

11月13日/夢見の悪い日と因縁の店、すずめの戸締り、バス

夢見が悪かったせいでつい二度寝をしてしまい、飛び起きたのは8時近く、「ごめんごめん」と声をかけるとおやすみカバーの向こうから「ピッ」と抗議の声が上がった。
早速ミロ(「オトナの甘さ」というやつを最近朝飲んでいる)を飲みながらの放鳥タイムに入るが、まだなんとなくだるくて、ケージの餌や水を取り替えたところで帰宅してもらい、もう一度布団に潜る。
原因はわかっている。「病院で悪い報告を受ける」という夢をみたのだ。夢なのに、夢の中で凹んだ気持ちだけが残っている。退院してすでに3か月ほど経つがこういう夢を見たのは今朝が初めてで、きっと脳が整理を始めたということなのだろうな、と理解することはできるのに。
夢のことを頭から追い出すために、みくのしんさんのメロス記事*1をきっかけに最近見まくっているオモコロチャンネルの動画を、布団に潜ったまま1本見る。声を出して笑ってスッキリして、もう一度活動を開始する。


今日は外でランチを食べてから15時頃の映画を見るつもりなので、13時頃に出ればいいか、と算段をつけ、お茶を入れてベランダに出る。
チェンソーマン」4話アキ君朝のルーティン回をみてからたまに、ベランダで本を読んでいる。狭いベランダで踏み台に腰掛けているだけなのではたから見たら不審者に近いが、少しでも日光を浴びることでセロトニンを補えれば御の字だ。


外が生ぬるくなってきたので、念の為、傘を持って外出する。
今日行こうと思っている店「R」には、ちょっとした、私だけの因縁がある。
まず一つは、はてなダイアリー時代からずっと(一方的に)日記を読んでいる方の行きつけのお店で、越してきてすぐに行こうとしたのだけど、コロナ禍ということもあり、なかなか営業しているタイミングに出くわせずにいたということ。
もう一つが、コロナ禍に入って母が高校時代の同級生とバンドを始めたことだ。
その同級生が私の住む街に住んでいるということで(母の地元が近いのだ)ちょくちょく家に立ち寄ってくれるようになった。聞けば、同級生は喫茶店をやっており、そこで練習しているのだという。
「良い店だから行ってみてよ」
そこで教えてもらった店の名前が、まさに「R」だったのだ。そして幾度かの営業休止を経て先週、営業再開のお知らせが母より入ったため、今度こそと訪れたのである。

念願のRは母から聞いていた通り、居心地の良いお店で、あの人のダイアリーで読んでいた通り、生姜焼き定食とコーヒーが美味しかった。
帰り際に母がいつもお世話になっていますと挨拶すると「いつも楽しく練習してます」とにこやかに挨拶され、楽しそうでいいなあ! という気持ちで店を後にした。ダイアリーのあの人が引っ越してしまってもうこの街にいないことは知っている。母の同級生はそれを知っているのか、聞いてみたいような気もしたけれど、はてなIDしか知らない方なので、尋ねる術はないのだった。


ちょうどよくお腹がいっぱいになって良い気持ちのまま、書店に寄ってから映画館へと向かう。
今日見るのは「すずめの戸締り」だ。
たぶんこういう話なんだろう、とある程度覚悟して行ったのだけれど、思っていた扱い方とは少し違っていた。どちらかというと良い方向に期待が裏切られた感じだった。起こったことはかわらない。その設定に「現実」をどうこうする力はないのだ。ただ、あくまでも主人公が旅を通して、あのセリフ*2を言える場所にたどり着いたという点に労りを感じた。
何よりも、まず主人公が高校生になっている、ということが個人的にはいちばんぐっとくるポイントだった。


余韻に浸りながら駅に向かったところ、事故で電車が止まっていた。
再開まで1時間程度かかるとのことだったので、バスに乗ることにする。私がバス停についたときは3人程度しか並んでいなかったが、おそらく同じ理由で人が集まったのだろう、出発する頃には車内は満員だった。
鎌倉殿までに晩御飯を済ませたいけれど…なんて考えながら乗っていると、背後でガクンと揺れる気配がした。
振り返ると具合が悪そうな人がいて、慌てて席をゆずる。横にいた人が運転手さんに「具合が悪い人がいます」と声を掛ける。空気がこもっているからと窓をあける人、水を飲ませる(その人が持っていた水だ)人、運転手さんは気を利かせて降車ドアをあけてくれるが、次で降りる予定だから、と意識のはっきりしてきたその人が言い、みな口々に「あともう少しですからね」と声をかける。
なんとなく団結したような車内で、こんな風に、見ず知らずの人たちと言葉をかわしたのはコロナ禍になってはじめてかもしれないな、と思った。

その人が下車し、走り出した車内で「ちゃんと歩いてる、よかった」と誰かが言った。
終点の駅前で乗り合わせた人たちが散り散りになった後も、その「よかった」が湯気のようにあたりを漂っているような気がした。


*1:https://omocoro.jp/bros/kiji/366606/

*2:「行ってきます」

入院中の生活とほうじ茶

朝、6時少し前に目が覚める。
トイレに行き、顔を洗って歯磨きをして、向かいにある談話室までお湯を汲みに行く。
入院前、なんとなく荷物に入れたタンブラーだったけれど、入院中ずっとこの「お湯を汲む」という用途に大活躍してくれた。
汲んできたお湯で、自宅から持ってきたティーバッグでほうじ茶を入れる。温かい飲み物でひと息ついていると、遠くに朝食を配る配膳カートの音(アマリリスの曲)が聞こえ始める。
最初は音楽が聞こえてきてすぐに待ち構えていたが、数日経つと、どうやら奥の部屋から配り始めるので、一番手前にある私たちの部屋にたどり着くまでには30分程度かかることがわかってきた。
それでも、入院中の楽しみは(特においしいというわけではなくても)食事くらいのものなので、音が聞こえている間はそわそわ待ちわびてしまい、退院する頃にはアマリリスを聞いたらお腹が空く体になってるんじゃないか、なんて思った。

朝食はだいたいパンと汁物、乳製品に果物という組み合わせだ。
仕事柄「栄養バランスのとれた食事とは」という様な記事は幾度となく制作してきたが、そんなのは机上の空論だったなと思うくらい、入院中の食事たちには、これこそが栄養バランスの具現化だと思わせる説得力があった。
入院中「栄養バランスのとれた・適量の献立」の実例を体験することができたのは、退院後の食生活にもかなり役立っている。

朝食の前後には看護師さんの朝の問診(問診と呼ぶのかわからないが便宜上問診と書いておく)もある。
熱を測り、術部の確認をして、出されていた痛み止めの服用チェックをする。
週に何度かはいわゆる教授回診というものもあった。
私とほぼ同世代の主治医はおそらく部門の2~3番手らしく、教授回診の際にはサイドに控えており、帰り際にちょっと声をかけてくれるという感じだった。
これまで外来でしか会ったことがなかったけれど、手術や入院患者のケアをしている様子を目の当たりにすると、だからこそ日常生活では感染症に気を使うだろうなということが想像でき、この負担が少しでも軽くなる日が早くきて欲しいと思った。

次のアマリリスは12時頃だ。
ほとんど動いていないのに食べ過ぎの様な気もしたけれど、決まった時間に食べているうちに、アマリリスに合わせてお腹が空くようになってくるので面白い。

昼ごはんの後にも看護師さんの問診があり、術後2日目くらいから、このタイミングで風呂の予約を入れられるようになった。
脇腹にドレーンという管をつけているため、上半身はシャワーを浴びることができない(あったかいおしぼりをくれるのでそれで拭く)。
そして、風呂は30分単位でしか予約できないため、入院中は下半身のシャワーと洗髪を交互に行うようにしていた。洗髪は、風呂場にあるシャワー付き洗面台でビニールのケープをつけて前かがみで行ったのだけど、手術部位が動かしづらくしかも30分以内にドライヤーまでかけ終えなければいけないのでけっこう大変だった。でもまあそれもリハビリだ。

昼食から18時の夕食まではわりと時間があるのだけれど、メインイベントとなるのはこの風呂くらいだ。
入院前は、体力低下を防ぐために院内を散歩したりできるイメージだったけれど、コロナ禍ということもあり、フロアから外に出る際&フロアに入る際にナースコールをしなければならず、ただでさえ忙しそうな看護師さんたちを煩わせるのも悪いような気がして、せいぜい2日に1回、院内のコンビニに行くくらいの外出しかできなかった。
つまり全然歩かないのだ。お湯を汲みに行くくらい(50歩くらいの距離)しか歩いていない。
退院する頃には相当体力が落ちてるんじゃないかな…と怖くなる。
怖いけれど、ベッドの上はまあまあ快適で、本を読んだりPCで動画を見たりうたた寝をしたりして過ごす。

術後3日目くらいからはせめてベッドからは出ようと室内備え付けの椅子とテーブルで過ごすようにしていた。

病室のあるフロアに自動販売機の類はなく、水道も洗面所にしかなかった。
気軽に買い物に行ける状況ではない中、飲み水として使用できるのは談話室の給湯器のお湯のみだったため、先述のタンブラーと、持参していったほうじ茶のティーバッグがとても役に立った。
ちなみに病院側から提供される飲み物として、1日3回のアマリリスの際にもほうじ茶が配られていた。私は毎回、すでにほうじ茶の入っているコップを指して「このまま注ぎ足してください」とリクエストしていたため、もしあだ名とかつけるタイプのスタッフさんがいたら「ほうじ茶」と呼ばれていたと思う。

そんなあだ名もやぶさかではない程度にほうじ茶は好きなのだが、1日中飲んでいるとたまには甘いものやコーヒーも欲しくなり、術後初めて院内のコンビニまで出向いた際には、真っ先にスティックタイプのカフェオレを購入した。
娯楽に飢えていたため、スティックタイプのカフェオレを入れて飲むのが1日のハイライト的なイベントにすら感じられた。

明るいうちは大抵、窓辺のテーブルで本を読んで過ごした。入院中はよく集中でき、漫画以外で7冊くらいは読めた。
特に、このタイミングで読んで良かったと思ったのは、
津村記久子「とにかくうちに帰ります」
スズキナオ「深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと」
という2冊だ。どちらも自分にとっては退院後に向けた日常への軟着陸を手助けしてくれたように感じている。

18時頃、ふたたびアマリリスが聞こえてくる。
スマホでラジオを聴きながら夕食を食べ、ほうじ茶を飲み、顔を洗って歯を磨く。
そこから消灯の21時までは、ベッド上に机を移動させ、ノートPCで動画を見ることが多かった。このとき、リクライニング式のベッドをソファの様な格好にしているわけだけれども、これがすごく快適で、退院した今も、あの格好で動画がみたいなと思ったりする。

消灯直前、1日の締めくくりとなる問診がある。1日3回、体温を始めとした諸々の報告をしてみると、自分の体が一定のリズムで動いていることがよくわかる。わかるものですね、というのを看護師さんが共有してくれているというのもなかなか心地が良く、なるほどケアされるというのはこういう感じなのか、と思う。

そんなわけで、計10日ほど、こんな感じの入院生活を送った。
カーテンで仕切られた4畳ほどの病室を窮屈に感じることはあまりなく、むしろこうして思い返してみると自分にとってあれは「守られた場所にいた」という記憶のように感じる。
これはもちろん、術後の経過が良かったおかげなのだけれど、しばらくは定期的に通うことになる病院なので、信頼感を積み重ねることができたのは良かったなと思う。

退院後も引き続き、だいたいの時間はほうじ茶を飲んでいる。


入院日記/『あした死ぬには、』の本奈さんと私

入院する直前、『あした死ぬには、』(雁須磨子)の最終話が公開されて、それがなんと主人公の本奈さんの入院回だった。
雁須磨子さんは新刊が出たら必ず買うくらい好きなのだが、中でも『あした死ぬには、』は自分と同世代の話だし、ということで特に思い入れのあった漫画で、
その最終回が入院回、しかも私と同じようにおそらく初めての全身麻酔での手術をする話……ということで「やはりこの漫画は”私たち”の漫画だ~!」なんて心強く思っていた。
そして、その本奈さんのエピソードは自分にとって「初めて手術を受けるにあたって目にした最新の体験談」となり、当日の朝も私は『あした死ぬには、』のことを考えていたのだった。

前回 入院日記/コロナ禍の入院 - イチニクス遊覧日記

タイムリープ体験

手術日の朝8時頃、主治医が点滴用の針を準備しにきた。
点滴自体初めてだったのだが、蛇口のように針だけ設置しておいて、そこに点滴の管を装着する形で使うらしい。
腕に設置しようとしたがうまくいかず、結局手の甲になる。
その後、点滴を接続しにきた看護師さんが「手の甲になっちゃったんだ!」というので聞くと、手の甲は結構痛いのでできれば避ける場所なのだとのこと。確かに点滴がつくと、管の重みで引っ張られる感じがあって少々痛い。点滴の袋が、ドラマなどでよく見るキャスター付きのスタンドに吊り下げられるのをみて、本物だ、と思う。

12時少し前、手術の準備ができたと看護師さんが迎えにきて、病室を出たところで母親に会った。
コロナの都合で面会は禁止されていたのだけれど、手術前だけは会える時間があるとのことで、来てくれたのだった。
点滴スタンドをひきながら、手術室までの渡り廊下を歩く。外の天気はどう、というような話をしたような気がする。意外な天気だった気がするけれど、それが暑かったのか、雨だったのかよく覚えていない。要するに、少々動転していて、それを隠すために天気の話をしていたんだと思う。
手術室までは1分もかからない距離で、ドアの前で終わったら連絡するねと手を振って別れた。

バックヤードのようなエリアを通り、手術室に入ると、思いのほかたくさんの人がいた。
ベッドに寝るように言われる。思ったより位置が高い。寝転がると、テキパキと全身のあちこちにいろんな器具が取り付けられていく。
驚いたのはつけていた不織布マスクの上にそのまま酸素マスクを装着されたことだ。
「前開きます」「冷たいですよ~」「足に器具つけるので靴下ちょっとめくります」「眩しいですか?」などといろんな人がほぼ同時に私に話しかけてきて、なんかすごい賑やかなんですけど一人一人お願いします………

………と思った次の瞬間「手術終わりましたよ~」と声がかかった。

本奈さんのやつと同じだった。
完全なタイムリープ体験に驚いたまま、ベッドごと薄暗い個室のようなところに移動して、そういえば手術後3時間程度SICUに入ると言われていたのを思い出す。今15時…ってことは3時間も手術してたのか。

ベッドを運んできてくれた看護師さんに「今の痛みの度合い、10段階でどのくらいですか?」と聞かれる。0は痛くない、5は普通、10は痛い、だと思ったので「7?」と答えると、そんなに痛いですか?と驚かれる。「10は泣いちゃうくらい痛い感じですけど…」と言われ、それなら4かな?と答える。
30分くらい経ったところで、母親が部屋に入ってきた。まさか今日もう一度会える機会があると思わなかったので驚く。主治医の先生からうまくいったと説明を受けたとのことで、母親もホッとした顔をしていたように思う。

話をしたのは10分くらいだっただろうか。
ここからの数時間がめちゃくちゃ長かった。うとうとして目が覚めても15分も経っていない。
そして誰もいない。手にナースコールのボタンを握らされているが誰もいない。
枕元に窓があるのか、蝉の声が聞こえてきて、入院前にみた甲子園の、近江高校の応援歌が頭をぐるぐる回り出す。今日の主役は誰ですか~という掛け声のやつだ。
時計は一時停止ボタンでも押されてるのかなというくらいビクともしない。
寝るしかないと思うが、またすぐ目がさめる。

とにかく早くここから出たい…と思い続けて3時間が経った頃、看護師さんがやってきて、歩けることを確認し、晴れて病室に戻れることになった。


痛みの段階

ベッドごと病室に戻る。看護師さんがすぐに「スマホ入りますよね」と引き出しから出してくれて優しい。
家族と友達にLINEをしたりして、うとうとしたり、「ヤコとポコ」の続きを読んだりする。スマホを使うと点滴の部分が痛かったが、明日にはとれるとのことなのであと少しの辛抱だ。
友人が送ってくれた過去の手術体験記でもICU精神と時の部屋と例えていて*1みんなそう思うんだなと笑った。


消灯前に再び、痛みは10段階でいくつですかと聞かれ、ICUにいた時よりは良くなってることを伝えたく「3」と答える。
ちなみにこの痛みの段階報告、この時点では3でよかったのだが、この後1週間以上にわたってこの質問をされるにあたり「良くなって入るが0ではない」を表現するのが難しく、退院間際には「1.5?」「きざみますね~」みたいな感じになっていくのだった。

この日の夜は2時間おきに看護師さんが傷口を確認しにきてくれて頭が下がる。喉が痛くてちょっと不安になるが、隣のベッドからも咳き込む声が聞こえてきて、多分手術後はこういうものなんだな、と思う。

翌朝は6時前に目が覚めた。めちゃくちゃお腹が空いている。入院日の夕食以来何も食べていないのだから当然だが、正常にお腹が空いていることにホッとする。
8時頃に到着した30時間ぶりくらいの食事は食パンとクリームシチューだった。

ところでこれを書いている今日『あした死ぬには、』の最終巻が発売されたのだが、
再び本奈さんの入院の様子を「そうそうわかる」と思いながら読んでいたら、本奈さんの手術明けの食事も、食パンであることに気がついて、なんだかちょっと嬉しかった。

その後、入院前にDLしたものの、明るい話ではないということは聞いていたのでなかなか食指が動かずにいた芥川賞受賞作「おいしいごはんが食べられますように」を読む。
SICUにいた時ふと、「あっいまあれ読む感じだな」と思ったのだ。
本を読むための推進力みたいなものっていつどこでわいてくるかわからないので面白い。
案の定、登場人物に腹を立てる。そのくらい気分が軽くなっていた。

*1:精神と時の部屋は、外部より時間の流れが「速い」空間なので逆ではあるんだけど、時の流れが変になる部屋ということで…