「everyday is a symphony」

最近、音楽に感情移入するってどういうことなんだろうなってことをずるずると考えていた。私にはいくつか、すごく好きなバンドがあるけれど、歌詞の意味もよくわかってないバンドもあれば、一語一句がとても大切に思えるバンドもある。でもどちらも、そこにある切実さのようなものを、信じてるんじゃないかなと思う。もちろん、音楽を好きになる理由はそれだけじゃないのだけど。

everyday is a symphony

everyday is a symphony

ただ、そんなことを考えていたところに、ちょうどこの口ロロの新譜「everyday is a symphony」を聴いたんだった。
そして、もしも物語が読者のものであるように音楽を聴くとしたら、私がこの中に重ねられる部分はないかも、というのがまず真っ先に感じたことだった。…なんて書くと、あまりにもセンチメンタルすぎる気はするのだけど、
例えば、このアルバムの音作りの面白いところは、様々な場所で録音された、生活感のある音を素材に使っているところだと思う。そういうとこで、駅の発車ベルから始まる「Tokyo」とか面白いなと思う。
でも例えば「卒業式」という曲では実際(かどうかはわからないけど)の卒業式の音がサンプリングされているのだけど、その編集のされ方に、私が感じたのは映像が途切れるような違和感だった。
もちろん、音から感じることと、その切れ目と言葉とが自分の感覚と重ならないっていうのはまああることだし、全部と重なるなんてことはないにしても、
「全て繋がってる 煙草に火をつける 亡骸に火を 鎮魂 こんこん あと2時間で世界が雪に埋まる(「夢中」)」
という言葉が耳に触れたとき、イメージを連ねることで、浮かぶ光景は受け手によって異なるのだなということを改めて思った。
私がそこから受けるのは、言葉が衝動的に浮かんでいるような印象で、それなのにひとつひとつの情景に重力を感じてしまうせいでそこにともなう気持ちみたいなものが少ずつ遅れて遠くなっていく。
別の部屋で交わされている会話のように、どんな顔でこの言葉が発されているのかよくわからない、というのが私個人の感覚なのか、意識的なのかどうかわからないのが居心地のわるい原因だったのかもしれない。

あといとうせいこうさんが入ったという話からイメージしていたのとはちょっと違って、なんとなく音の印象は Her space holiday とかに近いかなと思ったりした。