毎日が夏休み


夕方の電車、晩ご飯なににしようかなーなんて考えながら足を投げ出して座っていた。夏だから外はまだ明るくて、がらがらの車内は冷房が効きすぎていた。
私の目の前には、ひとりのおじさんが座っていた。というか眠っていた。首が90℃以上傾いていて、電車が急ブレーキでもかけたら、ごろりと落ちるんじゃないかと思うくらいだった。そのとなりのOLさんらしき人も眠っていて、足がだんだん開いてくから見ててちょっとはらはらした。その席の端っこにも、柱にもたれた女子高生が部活のでかい鞄を足元において眠っていて、車内の空気はトルコアイスみたいに、冷たく、でもどろんとしていた。
頬にあたる夕焼け色だけが温かい。私もたまにあたまをグラグラさせながら、ぼんやりと、みんな疲れてんだなぁと思ったりした。そしてどことなく連帯感のようなものを、感じてもいた。今日も一日過ぎたねとか、おなかすいたねとか、眠いすねとか。

中学生の頃からずっと使っていたO線では、久しくこんな光景を見ることはなかった。というのも私が乗る時間帯には常に乗車率が100パーセントをこえているような路線だったからで、だからいまの、このT線の穏やかさはまるで夢みたいだ、と思ったりする。

O線に乗っていると、人は(もちろん私も含め)電車内でとても攻撃的になるものだ、とよく感じた。ぶつかりあって諍いがあり、寄りかかる人を押しのけ、降りる駅で人が入り乱れ転ぶ人がいて、人が人を突き飛ばすような場面だって日常茶飯事だった。みんな急いでいて、私も急いでいた。朝は遅れがちなO線にいらだち、夜は早く家に帰って眠りたいと、眉間にしわを寄せてじっと駅が過ぎていくのを待つ。
みんなどこかイライラしていて、それに気付かないふりをしようとにやにやしてみてもなんの役にもたたなかった。せいぜい折り悪く再会した初恋の男の子に無気味がられてフラグをへし折るくらいだろう。

もちろん、O線にだってよい思い出はたくさんあるのだけど、でもあの増幅していくイライラをおさめる方法はないんだろーか、ということを眠い目をこじあけながら考えていて、通勤時間をずらすとか云々あるけど、やっぱ夏休みという希望こそが、人を豊かにするんじゃないのかね、と、夏休みまであと一週間の脳が結論した。