すばらしいたのしいうれしい


完全に自業自得に風邪を引き3日間寝込んだ。雨にぬれたら即、風呂に入ってあったまるべきなのにそうしなかった自分が悪いんだけど、とにかく明け方に暑くて目が覚めたら熱いの自分だったって具合に風邪をひき、そんなわけでこの数日ひたすら眠っていた。食べ物もないし飲み物も、麦茶パックもきらしていたので、一度だけ近所のコンビニに買い出しにいったけれど、それ以外はずっと、部屋の中で寝て,寝て、眠っていた。寝ながらポカリを飲み、ゼリーを掬った。
長い時間、眠りながら何か考えてるんだけど、自分が何を考えているのか、よくわからなかった。そのわからなさについて、誰かと、もしくはコピーロボットと、話をしてみたいのだけど、それが、わからないねーと言いあいたいからなのか、わかるためのヒントがほしいのか、どっちでもいいじゃんと言ってもらうことで安心したいのかできるのかなんてそんなこと知らないけど、とにかくひとりで考えてんのしんどいなぁとか思いながらまた眠った。
しんどいなぁとか思うとき、よく思いだすのはあの、楽しさ保証付きの話。どこかに「どう考えたって、世界には、一生かけてもアクセスしきれるはずもないほど大量の」、が、わたしを待っているはずで、それがちゃんと見えてた気がしたときもあった。ような気がする。あの時はすっきりしてた。それがいいことか悪いことかは別にして、っていちいち言い訳しなくてもいいように、わたしはわかりたいんではなくてわかられたかったんだなと思い寝返りをうった。
わかられたいというのは、つまり「いいことか悪いことかは別にして」とか言い訳しなくてもいいということ。そして、自分が何を考えているのかわかりたい、と思うのは、楽しい事を楽しみにして、嬉しいことを喜びたいということで、そんなのぜんぜん、むずかしくないはずなのになぁと思いながら起きて、むずかしいことがむずかしいことよりむずかしくないことがむずかしいことのほうが悲しいなぁと思った。