夜明け告げるルーのうた

湯浅政明監督作品が2月連続公開されるなんてまさに盆と正月が一度にやってきたような2017年。
なのにタイミングがあわず見にいけてなかったのですが、アヌシー国際アニメーション映画祭でグランプリを受賞(おめでとうございます…!)した凱旋上映ということで、上映館が増えていたためようやく見にいけました。

見に行って本当によかったです…!

物語は、とある田舎町に越してきた宅録少年が、音楽好きの人魚「ルー」と出会い、親交を深めていく…というもの。しかし、ルーの存在を知った大人たちはルーを利用しようとした末に、ルーを捉えてその命を脅かすような攻撃を加える。
そこからの主人公たちの奮闘…というのがおおまかなあらすじです。

自然の恐ろしさと共存……というのがテーマでもあると思うんだけど、それをここまで優しく描くというのが湯浅監督らしさでもあるなと思います。これまでの作品の中でもひときわ優しい、すべて等しく救おうとする物語なので、正直途中までは歯がゆく感じるところもなくはなかった。
しかしなんといっても湯浅監督といえば終盤にやってくるアクション盛りだくさんで駆け抜けるお祭り騒ぎみたいなクライマックスです。テンポよく、しかし駆け足にはならず、様々なキャラクターの心象風景を織り交ぜまるっと包み込むラストは本当に圧巻だった。
このラストシーンだけでも、個人的には忘れられない映画になりました。
正直、見終わって数日経つ今も、思い出しては涙ぐんでしまうような場面があったのだけど、でもそれはすごく予想外というか、少なくとも予告を見ていた段階でこういう形でぐっとくる作品だとは思っていませんでした。
今はとにかくそのシーンについて見た人と話したい気持ちでいっぱいなので、以下にネタばれ感想も書いておきます。

《以下ネタばれです》

特に私がぐっときたのは「人魚に愛しい人を奪われた」経験をもつ2人の老人のエピソードでした。
この2人は途中まで主人公たちの行動を阻む存在なわけですけど、終盤のクライマックスシーンでいきなりこの2人がまるで主人公のように浮かび上がってくることに本当にびっくりした。
映画はどうしても主人公を中心に見ていく一人称的な見方をしてしまうことが多いと思うし、そうなると脇役として描かれていた人物の事情、というのは意識の外にあったりもする。
けれどこの2人が終盤、長年の思いをどのように昇華したのか、ということを台詞で説明するでもなく、そこまでの伏線を踏まえた心象風景で悟らせ、さらに彼らが抱えてきた年月の重さを思い知らせる…という演出は本当に見事だと思いました。
こういう演出は、例えば文章で表現しようとすると心情の説明になってしまいそうだし、かといって実写ではCGを使ったとしてもこのように現実と人物が見ている「幻」に近いものをシームレスに描くことは難しいんじゃないかと思う。
例えばタコ婆が見る「彼」の見え方の変化などは、絵で表現するアニメーションや漫画ならではの説得力だとも思った。

主人公の祖父が傘を作っていた理由と、彼の誤解、そして最後に傘を差し掛けることで、和解を示す、というこの流れも最高にしびれた。

第一旋律として流れる主人公達の物語はあくまでも10代に向けた青春ストーリーなのだけど、その底に流れていたもうひとつの旋律によっていきなりシニア層にまで間口を広げるような、懐の広さに圧倒される映画でした。
音楽もよかったな~。しばらくは「歌うたいのバラッド」きくたびにちょっと涙ぐみそうです…。
ルーと主人公の関係についてだけ、え!?そういう感じなの!?ってびっくりしたんだけど、でもまあ主人公中学生だしそれもありかな!?と思いました。


湯浅監督は来年春にNetflixにて配信される「デビルマン」を監督されるとのことで、そちらも大変楽しみです!
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光陰矢のごとし

「光陰矢の如し」という言葉を習った時の、手元の様子を今も覚えている。「少年老いやすく学なりがたし/一寸の光陰軽んずべからず」という言葉も確か一緒に習った。先生は声の高い、「が」の発音を「んが」と発音することにこだわっていますと、最初の授業で宣言した先生で、それからずっと先生の「んが」が出るたびに私は、でた、と思っていた。
教科書特有の、すこしクリーム色っぽい余白を眺めながら私は流れ星のことを考えていた。
光と矢、という言葉からの連想だろう。つまり人生は流れ星のように一瞬で燃え尽きるし、願い事を唱え終わる隙もない。
中学生だった自分がそんなことを考えた記憶はあるけれど、でも実際のところ人生はそれなりに長い。
まるで、長い長い走馬灯と現在が同時上映されているみたいだと感じはじめた頃から、日々はあっという間に過ぎるようになり、いつのまにかその背中を追いかけて走っているような気持ちになることもある。
例えば一年前の出来事と、あの授業中の風景の明度は私の中でさほど変わらないし、「メッセージ」で描かれていた「時間が流れているものではないとしたら」という感覚は、今ここ以外ではあり得ることなんじゃないかな、とか考える。

最近はひたすら趣味に時間を費やしまくっているけれど、やればやるほどうまくなるなんていうのは最初の方だけなので、そろそろ少しじっとして、どうやるかを考えることが大事なんだろうなと思ってはいる。でも我慢できずに足を踏み出してしまい、まだ凍っていない水面に落ちて、やっぱりね、とか言いつつずぶ濡れで向こう岸へ渡る…みたいなのを繰り返している。
最近は19時くらいでも明るいので1日が長く感じられて(錯覚だとしても)嬉しいですね。もうすぐ7月だ。

 「メッセージ」

監督:ドゥニ・ビルヌーブ

テッド・チャンの短編小説『あなたの人生の物語』の映画化作品。
とても楽しみにしていて見に行ったのですが、本当に、とても好きな映画でした。

原作は以前読んでいたのですけどほとんど忘れている*1状態で見に行ったのですが、これもよかったと思います。
見終えた後に原作を読み直してみたのですが、核となる部分はもちろん共通しているものの、物語的な装飾をその核を損なわないよう、よくぞあの脚本に仕上げたなと感じました。
丁寧に読み、噛み砕いた上で語りなおすこの脚本のあり方も、メッセージのテーマに通じるところがあると思う。

映画版のあらすじは、ある日世界各地に「船」が現れ、人類は警戒しつつも、知的生命体《ヘプタポッド》との対話を試みる…というもの。主人公の女性言語学者の視点で描かれるというのは原作と共通しています。
まず、この知的生命体との対話、というテーマが面白かった。
いきなり全体を伝えようとするのではなく、言葉の成り立ちを理解するためにヒントを積み上げていく過程や、表意文字表音文字についてのお話とかも面白くて、もう少し勉強してみたいなと思いました。
同じ言語についてのSFとして、まず思い出すのがジェイムズ・ティプトリー・Jrの『衝突』だったのですが、理解のためにまず信頼を表現するという行動についても共通するものを感じました。

しかしこの『メッセージ』は言語SFだけじゃないんですよね。
ここを忘れていたおかげで、映画を見ている間にもしかしてを感じ続けることができたし、自分にとって特別な映画になったなと思います。

どこか記憶の中にいるような、透明感のある映像もとても美しくて、映画館でみてよかったなと思いました。あと、役者さんの演技が、見てる側へそのままを伝えるような抑制的なものであったのも、物語にとても合っていたし「仕組み」として機能していたなと思います。

あなたの人生の物語

あなたの人生の物語


【ここから先はねたばれになります】

原作も映画も、主人公の現在と、どうやら既に亡くなってしまった子どもと過ごしている時間を交互に行き来するように描かれる。
現在と平行して描かれるものは、通常「過去」として理解されると思うのだけど、映画では物語の序盤に「時間が流れていないとしたら」という台詞があって、これがヒントになってずっと「もしかしたら」と思っていた。
もしかしたら、と思っていたのは、これは「琥珀」のお話なのではないかということ。
カート・ヴォネガットスローターハウス5』にでてくるトラルファマドール星人は、すべてのわれわれは「瞬間という琥珀に閉じ込められている」と話していた。例えば死は「あらかじめ決まっている事」であり、避ける事はできないけれど、同時に別の時間の中ではその人は生きている。
(実際に原作に収録されている作品覚え書きに「この話のテーマをもっとも端的にまとめたものは『スローターハウス5』25周年記念版の自序でカート・ヴォネガットが語っている文章」であると書いてある。/元ネタになった、ということではないと思うけれど)
この「琥珀」が、『メッセージ』における、《ヘプタポッド》の時制がない「表意文字」でもあるのだと思う。
『メッセージ』の主人公は物語の後もこの四次元的世界の中で観測者として生きることになるのだと思うけれど、それでも予め知っていた自分の人生を選択する。

私はループものやタイムリープもののSFが大好きなのですが、好きな理由の最大のポイントが、観測者の孤独と、観測されたことによって世界は存在し得る、といういささかロマンチックな部分にあります。
この物語における《あなたの人生》もまた、主人公の存在によって常にあり続けるのだと私は考えます。


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*1:長谷敏司『あなたのための物語』とごっちゃになってもいた)

夜は短し歩けよ乙女


湯浅監督の、なんと「マインド・ゲーム」以来の劇場長編映画。しかもあの「四畳半神話大系」のスタッフ再集結と聞いてすごく楽しみにしていました。

原作はかなり前に読んだけど詳細は忘れている…、という映画を見に行くのにはちょうどよい記憶具合だったので、細かな原作との差異はまだ把握できていないのですが、大きな改変として原作では約1年のできごととされているところを一夜の出来事にまとめあげたというのが素晴らしいアイデアだなと思いました。
時間経過的に一晩ですむようなお話ではないのだけど、絵巻物のような夢物語のような雰囲気があるお話のため違和感はないし、湯浅監督ならではの疾走感のある演出にもあっていたと思います。
中でも私が好きだったのは李白さんの三階建て電車の描写です。
私は狭いところに大きなものがやってくる、とか、ほとんど家のようなものが動く、という展開にとても弱いのですけど、あの李白さんの家についても、ぜひ中を細部まで見学させて欲しいなと思ったし、しばらく住み込みで働きたい。そう思うくらい素敵な家でした。李白さんの家で李白さんと飲みながら飲み屋に駆けつけたい。
映画を見終わった後に原作を読んだ感想を見返してみたら、やはり李白さん登場場面が見たいと書いてあって、自分も相変わらずだなと思いました。
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キャラクターで特に良かったのは、断然学園祭事務局長!
神谷浩史さんといえばもう饒舌キャラクターの名手ですけども、今回の学園祭事務局長は、流暢にしゃべりつつも常に軽やかな喋り方をするキャラクター。こういう演技もするんだなと新鮮な気持ちになりました。特に寝込んでるときの差し入れの山に埋もれてる総番長が好きです。
同じスタッフの作品、ということもあり今回主人公の声をあてた星野さんの演技は四畳半における浅沼晋太郎さんの弁舌を参考にしたものだと思いますが、これはきっとかなり難しい役所だったんじゃないかと思います。ただ周囲を固めるベテラン勢の安心感もあってか、モノローグよりも会話シーンで生き生きして聞こえたように感じました。
私は四畳半の明石さんが本当に好きなので明石さん派ではありますが、乙女の好奇心旺盛でかわいらしい感じは花澤さんならではとも思ったし、パンツ総番長を演じていたロバート秋山さんもとてもよかった。ミュージカルシーンに新妻聖子さんがでてるのもすごかった……。

などなど、とても一夜の出来事とは思えない、めくるめく体験ができる映画でした。
本当に楽しかった。そしてとても飲みに行きたくなりますね。まずは偽電気ブランを飲んでみたい!

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「お嬢さん」

監督:パク・チャヌク

監督が原作「茨の城」(サラ・ウォーターズ)を映画化するにあたって、

「もちろん原作の物語も大好きだったけれど、私がいち読者として、いち視聴者として、こういう物語がみたいな、こういう結末になったらいいのに、というストーリーに変更したのです」
http://realsound.jp/movie/2017/03/post-4429.html

と語っている……という話題を見て、それってモチベーションが二次創作なのでは……と気になり(もちろん監督の作品が好きで期待していたのもありますが)見に行ってきました。
とってもよかった。


【以下内容に触れています】

私は原作未読なのですが、3部構成のうちの1部をみて「こうなって欲しい」と思った展開を、一度は裏切り、しかし最終的に「これが見たかったんだ」と思わせてくれる作品でした。
原作の舞台がロンドンであるのに対し、「お嬢さん」の舞台は韓国に住む日本人の館になっているので、冒頭は日本人として描かれる韓国人キャストの日本語が聞き取りづらいな…なんて思ったりもしたのですが、そんなのは一瞬で、あっという間に物語に没入してしまった。
第1部は物語の主軸となるお嬢さんと、彼女の元に送りこまれる世話係のスッキのやりとりがとにかく色っぽくてときめきます。お嬢さんを裏切らなければならないのに、次第に惹かれていってしまうスッキの目線の描き方の説得力よ。お嬢さんの背中を閉じるボタンを眺めながら「このボタンたちは私のためにある」なんてモノローグが入るの最高だった。
第2部では視点が逆転し、騙していたはずのスッキが実は騙されていた側であるということが明らかになる。ここで一度は絶望しかけるのですが、お嬢さんがそうせざるを得なかった理由が描かれていくうちに、やはりスッキの存在に期待してしまう。
そしてスッキこそが自分を救いだしてくれる存在であるということを確信する瞬間の、お嬢さんのあの、期待に満ちた目。
2人がお互いの立場を明らかにした後の、桜の木の下の場面などは、場内に笑いが起こるほど可笑しくもあり、同時にひたすら切なく愛おしかった。
2人のラブシーンは手を握り合っていたのがすごく印象的で、この2人の間には(お嬢さんと世話係という関係でありながら)上下関係はなく、手を繋いで世界に対峙しているのだと思えたのもよかったな。恋も憧れも性愛も込みで、2人はお互いしかみていないのに対し、そんな2人をとりまく2人の男は2人を「従属させている」と思っている。だからこそ、どうにか、カウンターを食らわせてやって欲しいと願ってしまう。
そして第3部はその願いが叶えられる。
再会した2人を遠景でとらえるショットはとても素敵で、ここで物語を閉じる監督もいるだろうなと思います。
しかしこれでもかとエンディングを盛り上げるところに、監督の「こういう結末になったらいいのに」が込められていた気がしたし、そういった意味でこれは監督の原作(というかキャラクター)への愛で描かれた作品のようにも思えました。

そして、そんな監督の分身として置かれているのが首謀者である「藤原」なのではないかと思います。
藤原はスッキを使い捨てのコマとして利用し、お嬢さんを手に入れようと画策する男なのですが、ラスト、2人と一緒に館を出るシーンを回想する彼は2人の関係を察していたかのようだった。まるで彼女たちの未来への礎となれるのであれば本望だというエンディングにも思えて(というのは私の勝手な解釈かもしれませんが)監督がそこまで思いいれた原作を読まなければと思いました。

レズビアンを描いた映画としても素晴らしく、特に監督がインタビューで以下のように語っていたことが印象的でした。

「私としては、まさに男性の視線、視線の暴力にさらされ続けた女性がそこから脱出し、解放される、それを称える映画を撮りたいと思って撮ったのですから、まさかベッドシーンや濡れ場をのぞいて喜ぶような男性視点で作るわけはないのです。実際、そのような場面を撮影するときには最大限の注意を払って撮影に臨みました」
https://i-d.vice.com/jp/article/the-handmaiden-chan-wook-park-interview